6、友人の奢りは心が痛む




 カリカリとペインティングナイフが布の上を走る。色は青。自分にあっている色のような気がする。

 キンちゃんと昼食を取った日は、あの後がひどかった。昼食を食べ終わり、脂分を取った体に満足しつつ部室へ帰ると部室の隅っこで木島が泣きじゃくっていた。中央で泣きじゃくるか、隅っこでいじけるかどっちかにしろよと内心思ったが僕は適当に無視して絵を描き始めた。すると木島が泣きながら僕の邪魔をし始めた。基本的に暴力は振るわない男だから実力行使で邪魔をすることは無かったが、僕の隣の床に座り込み泣きじゃくる。怒るに怒れない。調子に乗って男泣き。僕は怒れない。別に僕は悪くないのに。

 それからテストが始まるまで地獄だった。日ごろ部室に現われない木島がずっと部室に入り浸り、味をしめたのか、僕の隣で泣く泣く。もうワンワンと。お前は犬かと。

 僕に嫌がらせをしたいのか、慰めて欲しいのか最後の辺りはわからなくなっていたが、僕は無視をし続けた。最終的にはテスト期間に入り、木島は現われなくなった。僕の邪魔をする余裕さえなくなったためであろう。

 蒸し暑い部室の中で黙々と作業をする。テスト期間だからなのだろうか部室には僕以外おらず、黙々と作業に没頭できる。ここでまた木島が登場すれば作業が中断されてしまうのだけれど、ふらふらと学校を出て行く姿を確認しているから大丈夫だと思う。

 換気扇の音だけが静かに響く。無音が耳に優しい。音楽を流すのも良いが、音楽を流して聞きながら作品を作ると少なからず作品に影響を与えてしまうから自重してしまう。出来るだけその作品のことを考えて自分の感情をキャンバスに乗っけるためだ。

 顔を上げて壁に掛けてある黒い時計を確認する。五時過ぎ。テストは今週でほとんどの人が終わるから明日、もしくは明後日には人もまばらに部室に集まり始めるだろう。それまでに集中して作品を仕上げたいな。

 席を立ち、遠くから自分の作品を確認する。厚みが足りない。

 僕が自分の作品を遠くから確認していると、突然部室の扉が開いた。

 僕は急いで自分の席に戻り作品をひっくり返す。

「・・・・・・・・・・・・・おいっす」

 木島かと思ったが違った。

 この大学の美術部部長、花中島 武であった。

「木島かと思った」

「木島かと思った。悪いな。俺だ。絵をかいているのか?お疲れ様」

 そういうと花中島は僕にコーヒーを投げた。冷たいコーヒー。

「お前が飲もうとしてたんじゃないの?悪いね」

「悪いね。いいよ。だけどありがとうの方がうれしいな」

「んじゃありがとう」

「ありがとう。どういたしまして」

 ちなみにこの花中島、よく聞き間違える癖があるため、相手への確認のために同じ言葉を繰り返す癖がある。別に人を小馬鹿にしているわけではない。知らない人がこの話し方を聞いたら大概の人が怒るのが常だ。なんだかんだでこいつとは高校の頃からの付き合いなので、僕はそれを聞いてなんとも思わない。最初の頃は思わず怒ってしまうこともあったが。

「他に誰もいないのか?」

「いないよ。僕だけだ」

「僕だけ。それならタバコ呑んでもいいな」

 そう言うと流しの下の収納棚から灰皿を取り出して机の上に置く。

 僕は絵を描くことを中断して花中島が座った反対側に座り、缶コーヒーのプルタブを起こす。花中島はタバコを咥えるとマッチで火を点けた。

 燐が燃えるいい匂いが一瞬匂い、すぐにタバコの煙い匂いがそれをかき消す。

 僕は何も言わずコーヒーを口に運ぶ。

 互いに話をすることなく時が過ぎる。別に仲が悪いわけではない。基本的にこいつは喋らないのだ。沈黙が気持ち悪くない。互いに何を考えているか探る必要も無い。

 コーヒーを飲み終わる。190gなんてすぐに飲み終わる。コーヒー業界ってボロイ商売だな。と考えていたら花中島の方から話しかけてきた。

「お前この後用事ある?」

「無いけど」

 まあ本当はこの絵だけは人がいない時期に仕上げたかったが、別に今日でなくてもいい。明日には人が来るかもしれないけど、そうなれば早朝か、深夜に部室へ来て仕上げればいいだけだ。バイトはしていないし時間だけは十分に有る。ただ、少し面倒になるだけの話しだ。

「無いけど。そうか。それならちょっと時間いいか?」

「いいよ」

「いいよ。それならご飯食べに行こう」

「え、無理」

 即答してしまった。別に用事は無いけど、ご飯を食べに行くとなれば話は別だ。それは別に「男のお前なんかと飯食っても美味くないんだよ」というわけではなく、ただ純粋にお金が無いというだけだった。万年金欠。有る意味大罪。

「無理?どうしてだ?」

「金が無い」

 率直に答える。別に隠す必要も見栄を張る必要も無い。

「金が無い。いや、俺が誘ったんだから俺が奢るよ」

「俺がおごるよ?マジ?」

 思わず花中島と同じ口調になってしまった。が、それは仕方ない。確認しておかないとばっくれられても困る。主に僕の財布が。

 僕の返事に軽く笑いながら花中島は答えを返す。

「マジ?超マジ」

「超マジ?高いの食べるよ?遠慮しないよ?」

「遠慮しない?いいさ。どんどん食え。ただし、お前の良心がさいなまれない範囲でな」

「お心遣いありがとうございます」

 こんな時の良心なんざ糞だ。豚にでもくれてやれ。

 もう頭の中は何を食べるかということでいっぱいになってしまった。ここにいる時間さえもったいない。人間が活動できる時間なんざ一生のうちで限られている。明日の朝までフルで食べ続けてやろうか?オールってやつだ。別に朝まで遊ぶということではない。お店のお品書きをオールだ。

 ・・・・・・・・・食に関してこんなに卑しくなったのはいつごろからだろう。と少し自分の考えに良心が早速痛み出した。これを見越して僕に心遣いを言ったのだろうか?

「まあいいや」

「まあいいや?何がだ?」

「いや、こっちの話。それより早く行こう。時間がもったいない」

 僕はそう言うとさっきまで使っていた道具を片付け、自分の鞄を肩にかけた。

「時間がもったいないか。だが悪い。まだいけない」

「え?なんで?」

「なんで、というか、それが肝心だ。お前にとっては飯がメインでも俺にとって飯がメインではない」

「というと?」

「というとな、ほら、俺さ、彼女が出来たろ?こんな口調でも馬鹿にしない彼女」

「ああ。そう言ってたな」

 僕は基本的に他人の好いた惚れたの興味がないので、そんな話もあったなあ、そういえば最近こいつ付き合い悪かったよなあと思い出した。

「言ってた。それでな、彼女が飯食いに行こうと。私は友達を連れて行くからと」

「ああー、はいはいはい。女の子のお喋りを二人同時にすることが出来ないというわけだね」

「出来ないというわけ。マジ無理」

 基本的に多人数と喋るのに向いていない男なのだ。特に女の子との話で顕著に現われる。男同士で数人集まって騒いでいるだけでもむっつりと喋らなくなってしまう。別に友人だけの集まりならそれでいいのだが、そこに見ず知らずの女性が入ってくるとなれば別だ。女の子は基本的に会話が弾む場を好む。なのに花中島は許容人数のキャパが低い。能力的には聖徳太子の反対に位置している感じだ。

「いいけど僕は喋らないよ?」

「喋らない?構わん。俺も喋らんから」

「は?空気重いままじゃない」

「空気が重いまま。そうだな。きっとそれに耐え切れない誰かが喋り始めるはず。人数が大いに越したことはない」

「なんて他力本願な・・・・・・・」

 別に僕いらないじゃん、と思ったが口にすることは無い。奢りは奢り。その機会を僕が逃すはずが無い。

「んでいつごろ来るわけ?」

「いつごろ。もうそろそろくると思うのだが」

 壁に掛けてある時計を確認する。五時半過ぎ。夕食をとるには少し早い時間帯だが、別に僕は構わない。

 そこから会話がぶっつりと途絶えた。まあ別にそれが嫌だというわけでもないのだが。

 花中島は携帯電話をいじり始めた。友達と一緒にいるときに携帯電話をいじるのはどうかと思うけどな。別に話をしている時ではないから別にいいけど。

 ちなみに僕は携帯電話を所持していない。ここでも万年金欠という大きな障害があるのだが、別に理由はそれだけではない。気軽に連絡が取れるというのは結構なことだと思うが、それに縛られるのが好きではない。「不便でしょ?」などと友達などに言われるのだが、別に不便というわけではない。自宅に電話はあるし、用件なんざそれで事足りる。そもそもいつでも連絡が取れるということは、便利であるが面倒でも有る。見えない鎖に全身を縛られている感じといえばいいのか、四六時中監視をされているとでも言えばいいのか、まあ正直古いタイプの人間なのだ。便利になればいいというものではない。

 とか何とか思いつつも携帯のアプリで遊んでいる姿を見ると、ああ、ちょっと欲しいなと思ってみたりもする。結局格好をつけたいだけなのかもしれない。

 僕がそんなことに思いをはせて時間をつぶしていると部室のドアをノックする音が聞こえた。

「どうそ」

 僕が答える。

「タケちゃん来たよー!ご飯ご飯!」

「どうも、お邪魔します」

 花中島のことをタケちゃんと呼んだのが花中島の彼女、そしてもう一人はキンちゃんであった。

「お、イブキ君じゃないか」

「え!仮面ライダーどこ!」

 仮面ライダーの浸透率ってのはどのくらいあるのか調べてみたい気もした。

「仮面ライダー、じゃない。イブキってのはあだ名だよ。本名は和泉飛沫。略してイブキだ。イブキ、こっちの女の子が僕の彼女で友永 花って名前だ。隣は知らん」

 知らんって。結構有名なのに。というか初対面であるにしても、目の前で「知らん」呼ばわりされたら普通は気を悪くするぞ?

「何だ。仮面ライダーかと思ったのに。以後よろしく!イブキン」

「え、あ、まあ・・・・・・・よろしく。友永さん」

 更にあだ名が変化した。なんかイブ菌みたいで嫌な気はするが別に否定しなかった。パラサイトイブを思い出させる。ちなみに僕は男だけれども。

 キンちゃんが間に入ってくる。

「知らないのは当たり前だな。初対面だし。武君、私の名前は清流院琴音だ。キンちゃんと呼んでくれたまえ。以後お見知りおきと出来れば君たちの関係が続く限り長い付き合いを。イブキ君には別に自己紹介はいらないな。それとも再度してみようか?」

 別に気にするような性格ではないことは分かっていたけれども。僕にすぐ話を振ってくる。

「いらない」

 簡潔に答える。それに対しキンちゃんはムッとした表情に変わる。

「いらない、何だ。お前たちは知り合いか」

「まあちょっとした」

 そこでキンちゃんの表情が意地悪く歪んだ。

「ちょっとしたねえ。私と個人的にヌードを書くと豪語した君はどこに行ったものか」

 突然に馬鹿げたことを言い出した。いや、別に馬鹿ではなくて、あそこであんなことに同意した僕が馬鹿だったのだが。あれは違う。男友達に聞かれて喋ってたから、いや、結局キンちゃんは女の子だったわけだが。自分で考えていることがこんがらがってくる。

「ちょ、それそうだけど、違う、別に君に向かっていったつもりは無い!いや、君に向かっては言ったのだけどあの時君は男のフリしてただろ!」

 僕は必死に弁解する。花中島はまさかお前が・・・・という表情に変わり、友永さんは怪訝そうな顔をしている。どっちも嫌だ。

 それに対して更に意地悪そうな表情を浮かべるキンちゃん。

「男のフリをしていた僕に対してヌードを描きたいといったのか!なんだ君は男専か?受けか?攻めか?」

 受けとか攻めとか言うな!

「どっちも違う!男専違う!断固拒否する!」

「違うなら別に隠さないでもいいだろう」

 クックックと729にでもなりそうな笑い方をする。

 そこで珍しく花中島が言葉を挟む。そうだ、拒否しろ。僕の性格をあらかた知り尽くしている君ならば僕のフォローが出来る。

「個人的なヌード・・・・・・・・・・・それでちょっとしたって関係は無いだろう」

 ・・・・・・・・・肯定した。

 ニヤニヤした表情で軽くこの状況をおかしく笑っているキンちゃん。

 まさかお前がねぇ。という感じで僕を見ている花中島。

 伏せ目がちで床を眺めている友永さん。

 どうする?収拾がつかなくなってきた。形勢は圧倒的に僕の不利。あれ?不利ってなんだ?ってか何でこんな状況に一瞬にして陥っているのだ?僕たちはご飯を食べに行くだけでないのか?いつから趣旨が変わった?僕をいじるだけの場になってやしないか?

「ご」

 僕は喉の奥から声を絞りだす。

「ご?」

 キンちゃんと花中島が声を葉漏らして繰り返す。

「ご飯いらない僕帰る」

 僕は全力でその場から逃走した。



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