目から赤い涙を流す人間がこの世にいるとは思わなかった。まさしく目の前にいる木島がそれだ。いや、違う。ただ単に目がものすごく充血しているから涙が赤く見えただけか。僕と琴音さんが親しそうに話をしているのが憎いらしい。
そんな光景を見て、琴音さんは不思議そうに僕に尋ねる。
「イブキ君。彼は何故なき始めたのかね?」
琴音さんが僕を見る。間近で初めて琴音さんを見た。彼女の美貌と変なしゃべり方に戸惑って返事が遅れる。
「ん?何か?」
「いや、琴音さんってしゃべり方にギャップがあるなぁ、と」
反射的に返してしまった。自分の言った失言に気づく。
「ははは。相変わらず正直な人格だね。私は仲の良い友人とかにはこのような喋り方をするのだよ。これが私の地だ」
「さ、さいですか」
僕は冷や汗をかきながら答える。
「時にこのご学友は?」
「いや、まあ、そのですねえ。まあ泣くのが趣味なんですよ」
正直な人といわれた直後に反射的に嘘をついてしまった。というか自分が原因だということに気がついていないのか。鈍い性格らしい。
「そうか。ならばいいとしよう。それはそれで、イブキ君。海老天はいるかね?先ほどの会話を聞いていて君の意見も聞かずに勝手に投入したのだが」
「あ、ありがとうございます。勿論いただきますよ」
木島が無視され、和やかに会話が進む。
「ふずうはううはぁあああああああん」
変な叫び声を上げながら木島は食堂を出て行った。きっと無視をされ始めたのがとどめだったのだろう。勿論、その奇怪な行動を周りの皆は見る。いついかなる時も注目を集める奴だな。
そんな奇行にあっけにとられる琴音さん。僕でも木島の奇行にはいまだに慣れていない。
「なんだ彼は・・・・・・。私が来たことが不満だったのかね?」
怪訝な顔をしながら僕に尋ねる。
「あ、いや、気にしないでください。あいついつも帰る時に変な声を出しながら去っていくのを最上級の喜びと定義してるらしいですから」
まあ、嘘だけど。そんな奴がいたら会ってみたい。説明するのが嫌になって嘘をついた。
「そうなのか。そんな変な癖を持っている人を見かけたら忘れようが無いはずなのだが・・・」
琴音さんは不思議そうに顔を捻った。
「まあいいや。そんなことよりイブキ君、天ぷら食べないのかね?衣がふやけてしまうよ?」
「え、ああ、ごめんなさい」
琴音さんは木島から目を切ると、僕の方へと向き直り、すぐにそう言った。
そんなこと扱いされた木島のご加護を祈りつつ、返事を切り返す。
確かに海老天には刻一刻と汁が染み込み、あのサクサク感が失われていってる。
ハフハフしながら口の中に詰め込む。
油が脳を刺激し、幸福感をもたらし、えびの味と食感が涙を誘う。うまい。うますぎる。
琴音さんは僕がうどんを食べ始めるのを見届けて、「よしよし」と一言言った後に自分のご飯に手をつけ始める。
しかし、僕はその味を心ゆくまで楽しめなかった。
というか気が気でなかった。
何故男装をしていたのか、何故と一緒にご飯を食べるのかという疑問や、僕が書いた彼女の絵見られたな。というか、僕は変なこと言ってなかったか!などなどの過去の出来事を思い返して味に気を回す余裕がなかったからだ。
僕は一気に汁までたいらげる。
彼女の方を見ると、丁度彼女もご飯を食べ終わっていた。齧った海老天を残して他の物は一切なくなっている。・・・・・・・あれ?僕のうどんと一緒に食べ終わるのおかしくないか?
「ごちそうさま」
「あ、ご、ごちそうさまです」
琴音さんは真似した僕のほうを見てニコッと笑う。
僕も笑い返すが引きつった笑顔しか出ない。
少し沈黙があった。
このまま無言ではまずいと思い、僕から話を切り出す。
「あ、あの、琴音さん」
「ん?何だい、水臭い。キンちゃんと呼びたまえ。こうやって昼食を一緒に取るような仲じゃないか」
琴音さん、もとい、キンちゃんが即効で訂正する。
「で、でしたらキンちゃん。何故僕となんか昼食を?」
「友人と一緒に食事を取るくらい普通の行動だろう。あ、それと敬語もやめたまえ。かたっくるしいのは嫌いなんでね」
「ああ、ごめんなさ・・・・・・じゃなくてごめん」
自分の喋り方にかたっくるしさを持たないのか疑問に思った。
さっきの「友人にはこのしゃべり方」というのを合わせて考えると、彼女的には僕はもう友人の域らしい。他人から友人へのステップアップが早すぎる。どこでそう認識されるにいたったのか疑問に思う。
「まあ、とは言ってもいつも一緒に食べている友人が今日は遅刻しているのが最も大きい要因なのだがね。流石に一人っきりの女子が定食を三食分もたいらげるのを見られると恥ずかしいものがあるからね」
そういうと恥ずかしそうに笑った。笑顔がものすごくかわいい。喋り方とのギャップがものすっごくある。服を見てみると、白いTシャツにジーンズのパンツという簡素な姿だが、胸は出てるし髪も長い。男のような喋り方をするのなら髪型ももっとボーイッシュなものにして欲しい。
「どうした?人の姿をじろじろみて?いくら見ていようとも服が透けて見えることはないよ」
僕を見ながらしゃべりかけてくる。
「男じゃないよね?」
キンちゃんのからかいを無視し、僕の疑問をぶつけた。
一瞬呆気にとられた表情になったがすぐにそれは笑顔に変わった。というか爆笑に変わった。ひとしきり笑いが続く。
「ああ、そういえば君と会った時は私は男の姿をしていたね。悪い悪い。私はれっきとした女だよ。女の姿をしていると面倒なことが多々あってね。まあ男が好きなのか女が好きなのかはまだわからないけどね」
キンちゃんはお腹を押さえながらそういった。何故笑ったかが分からないが構わず話を続ける。
「面倒なこと?」
「ああ、例えばね・・・・・・」
キンちゃんが続けて喋ろうとした時に、余所から言葉がかけられた。
「清涼院さん」
彼女の後ろから男性が声をかける。髪は金髪、顔は上の中、服装は少し下げたジーンズのパンツに上は派手な柄のシャツを着ている。まあイケ面ってやつだった。
「はい。何でしょうか?」
キンちゃんはおしとやかな言葉遣いで男性に声をかける。
「えっとさ、俺は植下って言うんだけど」
上か下かハッキリしないやつだ。
「どこかでお会いしましたっけ?」
「いや、初対面。こっちは遠巻きながら何度も拝見しているけど。俺の事しらない?」
「いえ、存じませんが」
「あ、そうかぁ。残念。自分では有名だと思ってたんだけどなあ」
自分で有名って言うか?普通。っつーか僕も知らない。自分で有名と言っといて、二人も人がいるのに二人とも知らない存在だったらどうかと思う。それはもう何かの競技で三位を取っているのと同じだ。どうでもいい。
「あの、それで御用は?」
キンちゃんが丁寧に返事を返す。言葉を短く切って喋っているのは、不機嫌からなのか、ボロを出さないためなのか。
「あ、えっとさ、今度の日曜日暇?」
テスト前だというのに盛んなお人だ。つまりはデートにお誘いということなのだろう。こんな公然とした場でデートのお誘いとは。どれくらい自分がもてるのか自覚しているタイプだろう。自分に自信があるに違いない。僕の嫌いなタイプだ。というか基本的にイケ面は嫌いだ。
キンちゃん、こんな奴振ってしまえ。というか振ってください。こいつの苦痛にゆがむ顔が見てみたい。と心の中で祈ってみた。
「ええ、暇ですけど」
にっこりとキンちゃん。祈り通じず。
男性の顔がデレデレになって崩れ落ちる。内心ガッツポーズをしているに違いない。そもそもガッツポーズが「ガッツ石松」によって編み出された技だということも知らずに。
「それじゃあ今度の日曜日俺とデー」
「それは嫌です」
更ににっこりとキンちゃん。男性が言葉を言い終わる前に拒否する。
拒否された男性はデレデレ顔のまま凍りつく。
「え?」
「嫌です」
「いやいやいや、ちょっと待って」
「それさえ嫌です」
「話聞いて」
「それも嫌です」
「そ、そこまで」
「どこまでも嫌です」
男性が一言発するたびに「嫌」を様々なパターンで連呼するキンちゃん。
僕は噴出しそうになる。一つ否定をするたびに男性の顔が歪んでいく。僕の願いは届いていたらしい。「嫌です」との言葉が出るたびに心の中で「もういっちょ!」「そいや!」「まだまだ!」と合いの手を打つ。
その会話が一分ぐらい続く。男性も懲りない懲りない。どうしてもすがり付こうとする。それに対しキンちゃんも退かない。伸ばしてくる手をマッチ針で刺している感じだ。
キンちゃんも楽しんでいるのか、笑顔が更に進む。噂に違わぬ魔女っプリだ。取り付くしまもない。
「最後まで俺の話を聞いて」
まあ、そのやり取りが永遠に続くわけもなく、彼のこの一言に、とうとうキンちゃんが切れた。純粋にからかって楽しんでいただけではないらしい。顔が般若になっている。そして般若心経の如く喋る。
「君は自分の話は最後まで聞いてって言ってるけどちなみに私は貴方が私に話しかけてくる直前までココにいるイブキ君とお話をしていたわけでそれを貴方が無理やり話しかけてきたおかげで中断しているわけで私が貴方の話を聞かずにずっとさえぎって拒否し続けているのは貴方と同じ事をしているだけなのですけどそのことにも気づかない時点で私は貴方の自己中心振りに辟易としているし私がイブキ君と話をしているところを邪魔された時点で貴方にウザイ最悪どっかイケと三拍子そろった感情をもって貴方に対応していることにさえ気づかない貴方を見て更にウンザリとしました。要約すると、人に生まれるには早すぎたね。猿からやり直せば?ということです。拒否してんのわかんだろ。気づけよ」
喋る喋る怒涛の追撃。息継ぎなしのワンブレス。隠すことのない負の感情。僕がこんなこと言われたら今日寝るときに絶対に寝小便を垂れていることだろう。
男性の方はと言うと、完全に表情が凍り付いて青ざめいている。「う、え、あ」と母音の発音をしながら放心状態。きっと彼女に声をかける前まで、彼女とデートが出来るとハッピーな場面しか考えていなかったのだろう。「暇です」と持ち上げておいてからの拒否に継ぐ拒否。やる相手を間違えたら引きこもりが生まれることだろう。
「イネ」
訳すると「ケツまくってさっさと帰んな」、簡単に言うと「去れ」との意味だったと思う。
その言葉に反応するかのように男性はフラフラとした足取りで木島と同じ方向へと去っていった。
周りの視線が僕たちに集中していることに気づく。そりゃそうだ。これだけのやり取りをしていたら周りが反応しない方がおかしい。というか、途中から周りのざわつきが消えていたのに気づいていた。
「というわけなのだよ?」
「は?」
キンちゃんはまた表情をにっこりとした笑顔に戻して急に僕に話しかけてきた。
「だから、今のが面倒なことの例だ」
「ああ、そう・・・・・・・」
僕まで放心してしまう。彼女のキレっぷりに。
では何か?さっきの彼は彼女の例を演じるために招かれた俳優なのか。有名人って言ってたし。
「あの人俳優?」
「は?」
意味が分からないという風な答えだった。違うということらしい。まあそうだろう。
少しの沈黙。
「・・・・・・まあ、というわけで男装をちょくちょくしているのだよ」
「まあそうだよね。キンちゃん人気あるし」
男が言い寄ってくるのが面倒ということなのか、と納得する。しかし贅沢な悩みだ。僕は女の子が言い寄ってくるのならばオカマにでもなる覚悟は有る。まあ嘘だが。
まあここは同情しておこう。
「男が言い寄ってくるのって面倒なんだね」
「いや、あんなことをするたびに周りの注目を集めてしまうのが恥ずかしいのだが」
「そっちかよ!」
思わず普通のツッコミをしてしまう。
「いいツッコミだ。キレがある」
グッと親指を立てて僕に向ける。
褒められた。ちょっと嬉しい。