3、完全他殺マニュアル坊や



 夏休み間近。小島が泣きはらしてから幾日かが過ぎた。後一週間、人によっては二週間で夏休みに入るわけだが、大学生の夏休みってのは脳みそを腐らせるためにあるのじゃないか?というほど長いし、バイトもしていない人にとっては学校が恋しくなるくらい長い。特にバイトもしていない僕だし、やることといったら一人で自室にこもり、もそもそと動き絵を描くくらいだ。

 学校の広場にある噴水の前に腰を落ち着ける。日差しがとても熱いので部室に放置してあったビーチパラソルを差して日をよける。

 午前中なのにこの日差しの暑さは異常だな、と地球環境を心配しつつスケッチブックに人を描いていく。忙しなく歩きまくる人々。まあテスト期間中だから人はいっぱいいる。

 その中を動かず、木陰で涼みながら芝に腰を落ち着け、小説を読んでいる青年を見つけた。靴はスニーカー、ズボンはジーンズに上着はTシャツというラフな格好をしている。帽子を被っているため表情は分からないが、スタイルはよく、その木陰でホンを読む姿が様になっていた。

 その涼しげな姿と、静を表している描写が気に入り、その青年を中心に描いていくことを決めた。デッサンの練習なので抽象的に描くのではなく、きちんと背景なども書き込み、そのものに近い絵を描いていく。

 青年を描き始めておよそ三十分くらいたった。ほとんど青年は体勢を変えることなく、ずっと本を読みふけっている。最近の学生にしては珍しいものだ、と本を全く読まない自分を棚に上げて感心しながら絵を描いていた。青年を見、絵を描き、そして再度青年を見た瞬間、僕と目が合った。いつ頃から僕の視線に気づいたのか、逆にこちらの方を凝視している。

 あー、ヤバイ。見つかってしまった。日頃こんなことばかりしてると「てめえ、何見てんだよ」と不機嫌な様子で文句を言ってくる人がいる。まあ勝手に人の肖像権を無視して僕も描いているものだから、済みませんでした、と謝るしか術は無く、すぐさまその場を退散することが多々ある。

 読んでいた小説を閉じ、立ち上がり、青年は僕の方へと向かい歩いてくる。

 うわ、怒る系の人かな、と内心ビクビクしつつ目を伏せて、細部を埋め始める。

 僕の足元に違う人物の影が入ってきた。そこから微動だにしない。数秒の時が流れる。

 その人物は何も言わず、僕の隣に腰を下ろした。

「へえ、こりゃ僕だね。絵、結構うまいじゃん」

 青年は僕の絵を覗き込み、そう賞賛した。どうやら怒ってはいないらしい。

「あ〜勝手に描いてすみません」

 一応謝っておいた。円滑な人間関係ってのは大事だと思う。

「あ、それだと勝手に動いて悪かったね。元に戻ろうか?」

「いや、大体描き終わってますし。っと、じゃなくて見ず知らずの人にそこまでさせられませんって」

「ハハハ。それもそうだ」

 中性的な声で笑った。少ししか言葉を交わしてはいないが青年がいい人だと分かる。ここまで気さくに付き合ってくれる人も珍しい。

「本は何を読んでたんですか?」

「ん?これかい?」

 そういって彼は鞄の中から先ほど読んでいたと思われる本を取り出した。

 黒い表紙にはこう書いてある。「完全他殺マニュアル」。こりゃあ・・・・・・・・・。

「何か嫌なことでもあったんですか?」

「ん?いやあ、別に。ただ、どんなことが書いてあるのかが気になってね。大した内容ではないみたいだよ」

 気まぐれで読んだってやつか。先ほどの爽やかな風景に非常にそぐわない本だったらしい。

「それより君の絵、じっくりと見させてもらってもいいかな?」

 本の内容よりも僕の絵に興味を持ったらしい。僕は「大して上手くないですよ」と答えつつスケッチブックを渡した。

 ペラペラとページをめくっていく音が聞こえる。それぞれの絵にはコメントをすることは無かった。

「へえ、ほお、なかなか」

 と感心したような感嘆をもらして次々にページをめくっていく。こういう風に目の前で絵をじっくり見られることは少ないので、少し照れくさいというか、恥ずかしい感じがする。

「げ、これは」

 次々とページをめくっていた手が止まった。僕もつられてそのページを覗き見る。

 そこには僕が描いた薔薇姫の姿が載っていた。

「あ、ちょっと、そこは」

 と僕がスケッチブックを取り上げようとしたのだが、彼は難なく避け、立ち上がってそのページを眺めていた。

「嘘、いつの間に」

「え?何ですか?」

 よく分からないコメントを戴いた。

「いや、そうじゃなくて、君も彼女のファンの人?」

 ファンの人という形容の仕方が可笑しかったが僕は顔を横に振った。

「いえ、特にそういうわけではないのですが。たまたま彼女がいる風景を目撃して、それがあまりにも幻想的だったもので。あ、それは直接見ながら描いたわけではなく、後から絵を起こしたやつです」

 彼は僕の話を聞いているのかニヤニヤしていた。そして一言、

「ふ〜ん」

 という言葉だけで僕の話を終わらせた。

 君も、ということは青年も薔薇姫のファンなのか、しげしげとその絵を見入っている。

「なかなか綺麗じゃないか」

「そうなんですよね。僕も遠巻きにしか見たこと無いのですけど、僕も彼女以上に美しい女性を目にしたことはないですね。できたら絵のモデルとかやってほしいんですけど、まあ彼女と接点なんてものはないし、あったとしても萎縮してそんな頼みごと言えません」

 僕は笑いながら答えた。彼は絵を見入ったまま頷いている。

 一分くらいしてから見飽きたのか礼を言いながら僕にスケッチブックを返した。

「時に君、名前は?」

「あ、和泉飛沫といいます」

「ふむ、イブキ君ね」

 ピンポイントで間髪入れずに僕にあだ名を付けてくれた。しかも皆と同じ。この人も朝早起きしてライダーを見ている人なのだろうか?それとも録画してみているのか?

「イブキ君。もし彼女がモデルをやると承諾したとしよう。そしたらアレか?ヌードなのか?」

「いや、もしもは無いでしょうけど、さすがにヌードは頼めないですよ」

「彼女がヌードでもOKをだしたら?」

「そのときはヌードを描きます」

 僕は笑いながら即答した。彼も笑う。

「その時は僕も同席させてもらうとしよう」

「ハハハ。その時は、ですね。ありえませんけど」

 彼は更に大きく笑った。僕もつられて笑う。何だかとても気の合う人みたいだ。

「いいねえ。正直者は三文の得だという」

「早起きと一緒のランクなんですね。三文くらいならいらないよ、というところですか」

「・・・・・・・・捻った突っ込みをするな。君は」

 そこでタイミングよく授業終了を告げるチャイムが鳴った。彼は時計を確認する。

「楽しい時間をありがとう。そろそろ僕は行かなければならぬ」

 大正時代みたいな喋り方をするな、と内心笑いつつ、僕は返事をした。

「いや、こちらこそ楽しい時間でした。また今度・・・・・・・っと、貴方のお名前は?」

「お、失敬失敬。そうだな、キンちゃんとでも呼んでくれ」

 大学生にもなって自分をちゃん付けで呼ばせるのが少し可笑しかったが、個人個人呼んでもらいたい名前があるだろうと思い、僕は突っ込まなかった。それよりも年上だった場合にちゃん付けで呼ぶことは抵抗を感じると思い質問した。

「あー、失礼ですが学年は?」

「三年生だよ」

「それなら問題ないですね。僕も三年生です。また今度。キンちゃん」

「ああ、また今度。どうせどっかで顔あわすだろうな」

 そのまま手を振りながらキンちゃんと別れた。僕もその場を立ち去ろうと思い、ビーチパラソルを片付ける。

 さて、僕も授業だ。

 一先ず、道具を片付けるために部室へと向かった。



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