「清涼院琴音といいます。キンちゃんと呼んでください。ドはつけないでください」
「私は雫って言われる。姉ちゃんって呼ばれたりもする」
なんとも奇妙な自己紹介だった。
テーブルを挟み、僕の正面に実の姉が座っている。ちなみに名前は雫(しずく)。名は体をあらわすと言うが、僕の名前と姉さんの名前は逆に付けるべきだったと思う。正直どちらも名前負けをしている。ハッキリというと僕には押しの強さが、姉さんにはおしとやかさが足りない。姉に関しては全然足りない。
「ゲロ吐くくらい暑いな。この部屋は。クーラーぐらい買わないのか?俺ちゃん」
「俺ちゃん言うな」
このように、軍隊並みに言葉遣いが荒いのである。あと行動も大雑把だ。脈絡のない行動をよくする。さっきのように雨戸伝いで家に入ってきたように。
「質問に答えろよ」
「金ないです」
「そうか。これあげる」
そういうと姉さんは目の前にぽんと封筒を置いた。
封筒のくせに分厚い形をしている。僕は何も答えず、そのまま封筒を確認する。
中には印鑑が押してある帯に包まれた紙の束があった。日本語で、日本国銀行券と銘打ってある。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?」
互いに状況を理解できない。
「あれ?俺ちゃんそこの女の子孕(はら)ましたんじゃないの?ちょいと早いけど出産祝いのつもりで持ってきたんだが。まあどうでもいいけど孕ますって仏教用語みたいだよな」
「えええええ!違う!子供できてない!あと僕もそう思う」
「・・・・・・・・・・・・同棲してんじゃないの?」
「結果的に言えばそうだけども、付き合っていないし、何もやましいことは無い」
僕がそういうと、姉さんはキンちゃんに目を向けた。
キンちゃんは特に何も考えず「その通りです」と一言言った。その態度はまるで借りてきた猫のように静で逆に不気味さがにじみ出ている。
「いやいやいやいや。男と女が同じ家に住んでいて何もないってことないだろ。ほら、お姉さんに正直に言ってみ?」
「あ、私がイブキ・・・・・・飛沫君の裸見ました。ちなみに事故です」
おそらく、この間僕の家でやった飲み会の日のことを言っているのだろう。
「・・・・・・・・・・・・・飛沫は?」
「僕は覗かれました」
僕がそういった瞬間キンちゃんの体がビクッと揺れる。僕も飲み会の日のことを言ったつもりだったのだが、後で詳しく話をしないといけないのかもしれない。
「・・・・・・・・・・・・・・あんたは何もしてないのか?」
「してない」
「ばっかじゃねえの!!!」
姉さんが大声で僕を罵倒した。
「男と女が一つ屋根の下で何も無いってありえねえだろ!」
「僕とキンちゃんはそんな間柄じゃない!ただの友達だ」
「そんな間柄じゃないのに一緒に暮らしてる方がおかしいだろう」
姉にビシッと正論を言われる。まあ確かにその通りだ。その点に関しては何も言えない。
「だからそれは・・・・・・・・・・」
「言い訳スンナ。女々しい」
「ぐっ・・・・・」
そんだけ男らしい姉ちゃんもどうかと。
女々しいと言われたら続きの言葉が出なくなるのは何でだろう。
「まあいいや。それでエアコン買ってきて」
急に話が変わる姉。あごで机の上においてある札束を示す。
「え?エアコン高いよ?」
「うるせえよ。今私に文句言えた義理じゃねだろ。とにかく、飛沫、コウちゃんと一緒に適当にクーラー買ってきて」
「いくいく。さあ、飛沫。さっさと買いに行こう」
いままで喋る機会の無かったコウ兄さんが激しく賛同する。一刻も早く、この部屋から脱出をしたいらしい。
適当にって、ジュース買うわけじゃないんだから。僕がボソッと呟いたら姉さんが睨む。
「それじゃあ行こうか」
僕がそうコウ兄さんとキンちゃんの二人を誘導すると、姉さんがそれを止めた。
「キンちゃんとやらはここに残りなさい」
「え?」
「はい」
僕は思わず聞き返すが、キンちゃんは素直に頷いた。
「姉さん」
「いいからさっさといけ」
姉さんはそういうと、机の上にあった札束を僕のズボンの中にねじ込みそのまま家から僕たちを追い出した。二人とも靴を履かないまま。
ドアを閉められて、更に鍵を掛けられる。
呆然とする僕。頭をポリポリとかいているコウ兄さん。
「・・・・・・・・・・・はぁ」
思わずため息が出る。
「残してなにするんだろうな」
「知らない。考えたくも無い。というか何するか予想がつかない」
「だよなぁ。雫ちゃん『グリーングリーン』歌ってたもんな」
そういうとコウ兄さんもため息をつく。僕もそれにつられるかのようにため息をする。
「そうなんだよなあ」
「ゴリゴリに上機嫌なんだもんな」
コウ兄さんが言ったゴリゴリという言葉が正しいのかどうかは知らないが、僕はそれに頷く。今日の姉さんは最高潮にご機嫌だった。年に一回あるか無いかというくらいの。
「それはともかく。行こうかね。このままここで話をしてたらまた女々しいって言われそうだ」
僕は再度頷く。
二人でペタペタと階段を下りていく。
「その前にコウ兄さんの家で靴を貸してください」
「サンダルでいいなら」
いいよー、とコウ兄さんは答える。
コウ兄さんの家に着いたら、ついでに花中島も呼び出した。エアコンなんてどれを選べばいいか分からないし、何より帰ってきたときには人が一人でも多いほうが被害が少ないのではないかと思ったからだ。ちなみに花中島には姉が来ていることは黙っていた。逃げ出すといけないから。
今年は冷夏でエアコンの売れ行きはよくないらしく、設置するのにも順番待ちということは無かった。花中島を先頭に、買いに行く布陣を取った僕たちはボッタくるような値段でエアコンを買った。しかも電気代を気にする僕の思惑を花中島は考慮してくれて、電気代があまりかからないものを選んでくれた。電気機器に強い人がいると本当に助かる。
買ったその日に設置してくれるというので、そのままエアコンは我が家へ。エアコンと室外に置く機械をつなぐパイプを通す穴も、元々ついていたので、エアコンを取り付ける時間はそうはかからなかった。
それよりも、ボクの家へ足を踏み入れた時の花中島の顔の歪み方が酷かったのが印象に残った。ああいう表情ってなぜかゾクゾクする。
エアコンの取り付け作業が終了し、文明の利器というものを実感できる部屋の温度になった時、部屋では姉さんとキンちゃんがゲームに興じていた。僕がいない間に、仲良くなっていたみたいだ。どんな内容を話し合ったのか、僕は知りたくない。姉さんが更に上機嫌になっていたからだ。キンちゃんも心なしかうきうきしているように見て取れる。しかしキンちゃんはまだしおらしい。
「もう同棲ばれたのか。早いな。やっぱりお前は根本的に嘘に向いてない」
床は女二人が占領しているので、僕と花中島はベッドに座って、そのゲームを見ていた。キンちゃんが負けると僕が、姉さんが負けると花中島が正座をするという仕組みになっている。「やっぱり勝負事は何かかけないと盛り上がらないな」という姉の言葉。姉とキンちゃんはリスクを負っていない。リスクがあるのは僕と花中島の二人だけだ。ハッキリ言って、イジメとしか形容ができない。
「日常生活を清く正しく生きていると嘘って必要にならないんだよな。そもそも嘘をつく習慣がない」
既に三十分以上正座している花中島に向かって言葉をかける。
ちなみに花中島は僕の友人になったがために高校時代を灰色に染め上げている。「あんたの喋り方を聞いて、大抵の女性が心の中で笑ってんよ」という姉の一言が、花中島の女性関係を壊してしまった。女性に関して高校時代は猜疑心の塊であったために、顔の造詣はいいのに彼女が出来なかった。別に彼女が出来なかったのが酷いというわけではない。女性と話をする度に、頭の隅をよぎる、姉の言葉が彼を苦しめたことが酷かった。彼が僕の家に初めてきて、帰るときに言った言葉はよく覚えている。「本当に、アレはお前の姉なのか?」。僕もそう思う。母さんとお父さんもそう思っているらしい。
「駄目だ。勝てねえ」
そう言って姉さんはコントローラーを投げた。テレビの中ではロードローラーを叩きつける金髪の男性が勝ち誇っている。
「お粗末さまでした」
キンちゃんはそういうと、ゲームの電源を切った。花中島は正座を解く。
夏場だからまだ外は明るいが、時間は既に七時を越している。夕飯時。
「飛沫、肉が食いたい」
遊んだら飯を食う。なんとも欲に忠実な姉の言葉が僕を立たせた。ほぼ条件反射。パブロフの犬が見たら泣きそうだ。こんな条件反射は喜ばれない。
「あ、それなら私が作ります」
そういうとキンちゃんは立ち上がり、台所へと去っていった。
「それじゃあ、俺は帰るよ」
「お、もう帰るか。・・・・・・正直すまんかった」
「すまんかった、いいよ。しょうがない。お前一人だと可哀そうだ」
結局、正座をしにきただけの花中島は、しびれた足をさすりながら玄関へと向かう。僕も少し悪かったと反省する。
「お、花中島は帰るのか?」
「帰る、あ、帰ります」
「ほれ、夕飯代。彼女といい飯食え」
そういうと姉さんは財布から無造作にお札を取り出して花中島のズボンに捻りこんだ。
「夕飯代、いやいいです」
「私に口答えすんじゃねえよ。なに、女性恐怖症を乗り切った花中島に選別だ」
確信犯的に花中島のトラウマを作り上げたのか?聞きたかったが聞きたくなかった。
「選別って、いや悪いですって」
「うるせえよ」
花中島がお金を返そうとするが、姉さんはそれを拒否し、花中島に頭突きをしながら玄関へと追い出した。靴を置いたまま。
「男なら黙して語らずだろうが」
と一言つぶやきながら玄関から帰ってきた。言葉の使いどころが違う。花中島はコウ兄さんの部屋に行って靴を借りて帰ることだろう。
姉さんは一人でゲームを始める。さっきキンちゃんに負け続けていたのが気になってたみたいだ。
僕はベッドの上で寝転がりながらご飯を待つ。
結局帰ってきてから、姉さんが僕に対して何か非難めいたことを言うことは無かった。というか、キンちゃんがこの家に住んでいる事に対して、何もいわなかった。実際のところ、キンちゃんとどんな話をしたのかが気になる。二人だけで話をつけたのだろうか。逆に怖い気もするが。
キンちゃんが台所に立って役二十分。ご飯は昼の残り物でまかなえたため、おかずを作るだけで済んだみたいだ。僕の冷蔵庫に入っていた食糧が加工されて運ばれてくる。
簡単に説明すると焼肉定食。それにポテトサラダなどが追加されている。
そういえば、キンちゃんが料理するのって初めてみたな。まあ肉を焼くだけだから料理というほどでもないが。
姉さんが先に、「いただきます」とフライングをして料理にがっつく。まだ僕の分とキンちゃんの分は食卓に運ばれていない。
キンちゃんも食卓につき、僕と一緒にご飯を食べ始める。
感想はおいしかった。以上。僕の貧相な食生活に味の差を求められても困る。
「肉の焼き方に工夫を凝らしてるな。あとニンニクがしっかりと味に染みている」
「時間かけるのも嫌なんで軽く料理しました。イブキ君の料理はおいしいことはおいしいのですけど、味にもう一工夫欲しいんですよね。いつも後一歩なんですよ」
「料理だけじゃなくて飛沫の人生においてほとんどそうだ。いつも最後の詰めが甘い。最後まで気を抜かないのはこいつの描く絵くらいなもんだな」
何かと僕に対して非難が浴びせられる。何だ?何か僕が悪いことしたか?
さっきだって罰ゲームを受けていたのは僕と花中島じゃないか。何も非難されることなど無い。まあ結局僕は罰は受けていないのだが。
僕がこの料理に対して何もコメントしないのが悪いのかと思い、一言言ってみる。
「キンちゃんって料理本当は上手なんだね」
言ってみた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「あれー?」
二人とも聞いていない。黙々と箸を進めているだけだ。なんだ?本当に僕は何か悪いことでもしたのか?
早食いの姉さんはさっさとご飯を食べ終わる。それとほぼ同時に立ち上がる。
「ご馳走様でした。よし。私は帰る」
用事が済んだらさっさと帰る。無駄が無いと言えば聞こえはいいが、ただ単に自分勝手なだけだと思う。気遣いってものが無い。
所持品は何も無いのでそのまますぐに帰ろうとする。
靴を持って窓から。
「玄関からでなよ」
「家の構造上入ってきたところが出口だろうが」
そういうと姉さんは窓枠に手をかける。
そこは入り口ではない。まあ姉さんになにを言っても無駄だから何も言わない。
キンちゃんも律儀に立ち上がり、姉さんのお見送りをする。窓に向かって。
僕は立ち上がりもしない。
「まあ、こんな弟だがこれからもよろしくな」
「ハイ。承知しました」
そういうと僕に向かってニヤッと笑みを向ける。二人同時に。こいつらはいったいなにを話していたのだろうか。
「それじゃ」
そう一言言い残して姉さんは闇の中に跳んで消えた。着地音はせず、数十秒間を置いてから車のエンジンがかかる音が聞こえる。
「イブキ君の姉さん面白い人だったな」
「そう言ってくれるか」
姉さんに対する初対面時の評価は二つに分かれる。「面白いひと」「変な人」。この二種類に大体分けられるのだが、それはそのままその評価者の人格にかかわってくる。面白いといった人は姉さんと同種の変人奇人。変な人と言った人は一般人。
僕はキンちゃんに対して何も言わない。そんなの常日頃感じているからだ。
「そういえば昼間姉さんと何を話していたの?」
「・・・・・・・・・・姉さんに言うなと口止めされている」
最悪だ。絶対何かが起こっている。僕の知らないところで。
二人とも夕飯を食べ終わり、茶碗を片付ける。「流石に今日ぐらいは私が洗うよ」とキンちゃんが言い、今日は茶碗を洗ってくれることになった。なにが流石か分からない。
僕はそれに甘えることにして、昼間に描きかけだった絵に取り掛かる。
かちゃかちゃと食器がぶつかる音が聞こえる。こんなBGMもいいものだと少し思った。
十分くらいして洗物を終えたキンちゃんが部屋に入ってくる。そして床に座り、またゲームを始める。夏休みの間は全てこれなのだろうか?聞いてみると「積みゲーをさっさと片付けないと」と一言。ゲームに集中しているみたいだ。ゲームを楽しむことを目的じゃなくてクリアすることを目的としてないか?それじゃ意味がないんじゃないだろうか。と内心考えながら絵を描く。
「そういえばイブキ君」
集中していると思っていたキンちゃんが僕に話しかけてくる。僕は軽く返事を返す。
するとキンちゃんはクローゼットの方向を指差した。僕が描いた絵を保管している場所である。大小様々な絵が収納されている。その絵をたまに見かえしてはその時の情景を思い出すという、少し日記チックな感じにしている。
「なに?」
僕が質問するとキンちゃんは無視をした。見れば分かるということらしい。
僕は何だろうと思いつつもクローゼットを開けた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・最悪だ」
そこには僕の絵が置いてあった。最新作の数点のみ。いままで描きためていたはずの絵が綺麗さっぱりとなくなっている。
「姉さんが持って帰ってたよ」
「なんで!」
「さあ?」
「姉さんが来た時点で考えておくべきだった」
去年も姉さんは僕の絵を持って帰っていった。大体一年ごとに僕の日記、もとい絵を持って帰る。しかしもって帰るとは言っても、実家には持って帰っていないらしく、その行方はどこなのかは分からない。忘れた頃に僕の絵に手を出すのだ。金にもならんのに。
「もって帰る理由きいてない?」
「まあ姉さんも君の絵のファンって事でいいんじゃないか?」
「姉さんもってなんだよ」
「まあ私もってことだよ」
そういうとキンちゃんは僕のほうを向いてニヤッと笑った。その笑顔は先ほど姉さんと一緒に向けたものと同じようで、少し違っていた。そう感じたのは僕の気のせいなのか。姉さんとキンちゃんはいったいなにを話していたのだろうか。
キンちゃんはコントローラーを床に置き、クローゼットの中の絵を見始めた。
その動きはいつもと少し違ったような気がした。どのように違うかは僕には分からないが。
僕はため息をつきつつ、また絵の制作に取り掛かった。