11、僕は俺を僕と呼ぶ
僕の姉さんに関する話。
高校時代、それも入学初期の頃。僕にも思春期というものが訪れた。周りにいた友達が大人っぽく見えて、そして僕も背伸びをしてそれにあわせようと試みた。実際、今となって考えると、僕だけが背伸びしていたというわけではなく、周りの人たちの多くが背伸びをしていたのだろう。具体的に僕の背伸びを言うと、一人称を「僕」ではなく、「俺」に変えた。中学校時代の友達が春休みを抜け、久しぶりに会ってみるとあら不思議。僕という一人称を使わなくなっていたのだ。
「お前何の部活はいるか決めた?」
「僕?まだ決めてないけど」
「俺はサッカー部はいるぜ」
「お、おれ?」
そして周りに新しい友達が出来はじめると、僕の不安は更に大きくなる。僕と使っている少年が異様に少ない。僕は大いに焦った。僕だけがまだ子供のままなのだと。
そしてその焦りを解消するために僕は一日「俺」を使ったことがあるのだ。
「俺もうサッカー部はいったぜ。やっぱりサッカーかっこいいもんな」
「ぼ、俺もサッカー部に入ろうかな」
「・・・・・・・・・やめとけ、お前には似合わないって」
「・・・・・・・・なんだよそれ?」
高校入学当時、僕の身長は百六十センチにも満たず、髭も一切生えない、下半身さえツルッツル。ハッキリいうと小学生と間違われるほどの童顔、身長だったわけだ。しかも休み時間は本を読んでいるというタイプで、活発というには程遠い文学青年だった。
サッカー部に入ろうかなという僕の考えを友達に拒否され、僕は少し憤慨していた。何も似合わないって理由で僕の考えを拒否することはないではないかと。それは僕の考え違いだったわけなのだが。彼は僕がサッカー部に入ることを似合わないと言ったのではなかった。その答えはその数時間後に分かった。
その日の学校での一人称は全て「俺」を使っていた。その日、教室の皆はなぜか僕に優しかった。
家に帰る。家に帰ると、当時大学に通っていたお姉ちゃんが居間でお姉ちゃんがケーキを黙々と食べていた。机の上には空いた皿が二枚ある。
「あ、お姉ちゃん。ただいま」
僕が声をかけると、お姉ちゃんは机の上にあった皿をゆっくりと手前に手繰り寄せ、僕から見えないように隠した。
「あら、お帰り。机の上に飛沫ちゃんの分のケーキ置いてあるから食べていいわよ」
台所から、母親が僕にそう告げた。
机の上には皿しか置いてない。
お姉ちゃんは自分の手元にあるケーキを一心不乱にほおばり始めた。
「お姉ちゃん、それ誰の?」
お姉ちゃんは無言のまま立ち上がり、頬を膨らましたまま居間から出て行こうとする。
母さんがタイミングよく居間に入ってくる。
「あら、飛沫ちゃんもう食べたの?」
その一言を聞いた途端、お姉ちゃんが二階の自分の部屋へとダッシュした。
「母さんちがう!お姉ちゃんが俺のケーキ食べた!」
僕がその一言を発した瞬間、何故か家の中の時が止まった。
お姉ちゃんは階段の途中で止まって僕の顔を振り返り、お母さんは僕の顔を眺めたままピクリとも動かない。
その異様な雰囲気に僕も止まってしまった。意味が分からない。
一呼吸間を置いた後、お姉ちゃんが口を開いた。
「飛沫、お前なんていった?」
「は?」
お姉ちゃんは階段をゆっくりと下りてきて、僕の目の前で立ち止まる。
「だから、今なんていった?」
「なんだよ!そんなことよりケーキ返せ!」
「返す返す。今から私が買いに行ってでも返す。何ならお前が好きなケーキ何種類でも買ってやる。だから、もう一回、さっきの、セリフを、言いなさい」
文節ごとに区切ってゆっくりと僕に諭すように喋るお姉ちゃん。
一瞬何か僕が悪いことをしたのかと錯覚してしまった。
「どのセリフ?」
「母さん違う!の後」
母さんも興味津々というような顔をして、目を輝かせながら僕の顔を覗いている。
「お姉ちゃんが俺のケーキ食べた?」
「・・・・・・・・」
「もう一回」
「・・・・・・・・・お姉ちゃんが俺のケーキ食べた」
「ワンスモア」
「・・・・・・・・・・・・・・・・お姉ちゃんが俺のケーキ食べた」
「ソーリー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お姉ちゃんが俺のケーキ食べた!」
「あらあらまあまあ」
お母さんが最後に一言合いの手を入れた。
その瞬間お姉ちゃんは盛大に噴出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ップギャハハハハハハハハッハハハハハハハッハハハハッハハ!お前が!飛沫が!『俺』だって?ギギギギギギギギギギギギウゲゲゲッゲゲゲゲゲゲ!ごめんちょっと待て!テレコ(テープレコーダー)持ってくるから。ギャハハハハハハハハハハ!いいね!最高!マジお前最高!思春期か?思春期だな!」
こんな笑い方をする女性にあったことはない。
そういうとお姉ちゃんは物凄い速度で二階へと駆けていく。
僕が「俺」と言ったことを盛大に笑われた。
「今夜の夕食は豪勢にしましょう」
母さんに盛大に祝われた。
僕の顔は見る見る赤く染まっていく。恥辱と怒りと共に。
お姉ちゃんは大急ぎで二階から駆け下りてくる。手にはテレコ。
「お、俺が俺っていって何が悪い!」
思わず僕は叫んだ。
お母さんは既に台所へと向かっている。
お姉ちゃんはテレコを弄りながら答えた。
「何も悪くないよ。『俺ちゃん』。・・・・・・・・・・・・・・・く、クククククククククケケケケケケ」
「お姉ちゃん!気持ち悪い!」
「何だよ俺ちゃん」
「お、俺ちゃん言うな!」
「ごめんごめん。そうだ、ケーキ買いに行こう!いくつでもケーキ買ってあげる!あんたがレジで『俺にこれください』って言ったらいつでも好きな時に一生買ってあげる!」
そう言うとお姉ちゃんはまたゲラゲラと笑い始めた。
何故そこまで馬鹿にされるかが分からなかった。
そして僕の心はザックリと削れた。
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