一宿一飯の恩というものがある。まあ宿も借りたしご飯も食べさしてもらった。ど〜れ。恩返しでもしようかな〜。という形で恩返しをするわけだ。邦画などではそれで命をかけてその恩を返す場面まであるという。まあ、一宿一飯の恩とはそれほど重いというわけだ。つまり何が言いたいかというと、それが一年という歳月になるならば、その恩は一生をかけても返しきれないであろうということだ。
「イブキ君。今日のご飯は何かね?」
その恩を現在進行形で積み重ねている。しかも昼間っから。本人的には三百六十五宿千九十五飯の恩を重ねるつもりらしい。
「・・・・・・カレーだけど」
「ちょっと失礼」
そういうとキンちゃんは鍋を混ぜていたオタマを僕から取り上げ、軽くペロリと舐めた。
「・・・・・・もう少し辛さが甘くならんかね?」
「中に入ってるジャガイモを自分の分だけ潰してください」
「ぬう。余計な知恵ばかり持っているな」
ちなみに日本のカレーにジャガイモが入っているのは、ジャガイモを潰して辛さを調節するためらしい。
キンちゃんが僕の家に居候し始めてから一週間。思ったほどの騒動もなく、日々は穏やかに過ぎていった。しかし何の騒動もなかったかと言えば、やはりそうとは言えない。軽い騒動くらいはあった。
まず手始めに言えば僕の部屋の広さは半分になっていた。それは覚悟していた。住人が一人増えるわけだ。一人で住んでいた部屋が二人で半分ずつになるのは分かる。理解できる。しかしながら少しは遠慮とかないものかと思う。テレビの周りに繋がれたコードの束、床と棚に放置されているゲーム機の数々。
僕はそれまでキンちゃんはアウトドアはだと思っていたのだが、かなりのインドア志向らしい。キンちゃんはご飯の材料を買いに行く時意外一歩も外に出ていないのだ。
炊きたてのご飯にカレーを入れた皿を持ちながら自室を見、少しため息をつく。
「お、どうした?」
「どうもしない」
僕はそう言い返すと、2人分のカレーをテーブルの上に置いた。
「うお、やっぱり辛いな」
といいながらすでに三杯めに突入するキンちゃん。この食欲は一般人として暮らしていけるエンゲル係数なのかと疑問に思ってしまう。まあ食費のほとんどをキンちゃんが出すようになったので僕の財布に直接影響はほとんどと言っていいほどない。むしろ僕の食費が少し浮いているくらいだ。
「そう?これくらいの辛さじゃないとカレーの意味がないんじゃないのかな?」
「甘くたってカレーはカレーだろうに」
そういうとキンちゃんはご馳走様と一言言う。キンちゃんはよっぽど暑いのだろう。ジーンズを短く切ったパンツを穿き、黒いスポーツブラ一枚のみというラフすぎる格好でごろりと横になる。この人は僕を男として意識していないんだろうな。というわけで、僕も意識してないんだぞ、という意思を示すために上下合わせてジャージのハーフパンツを着衣しているのみにしている。こういう対抗意識を持っている時点で意識していないとは言えないわけなのだが。ちなみに上半身は裸だ。貧弱だけども。
僕もご飯を食べ終わり、ご馳走様と一言つぶやく。机の上に置いてあるキンちゃんの食べ終わった皿ごと流しへと持っていって水につける。そして手早く洗う。油ものの片付けは食べ終わった直後が勝負だと僕は思う。
キンちゃんはというと、立方体のゲーム機の電源をつけ、盾と剣を持った少年を操り旅に出ている。僕も少しチャレンジしたのだが、最初の敵との遭遇で死んでしまった時点で投げ出した。「下手くそ」とキンちゃんに笑われたのだが、指先だけで動かせる人生なんて興味がないだけだ。
食器を洗い終わり、居間へと移動する。僕の家に一台しかない、貴重な器具、扇風機を首振りにし、それぞれに当たるように調節する。クーラーという嗜好品はない。クーラーなんて生活用品じゃない。あれは嗜好品だ。
とまあ、暑さに対する八つ当たりをしながら、キンちゃんのゲームのBGMをバックミュージックにしながら絵を描く。テーン、テケテケテテッテテー。不覚にもわくわくしてしまう、下手な音楽よりも心を奮い立たせる音楽。
あ。
そこで僕の頭に天啓が閃いた。なんということだ。
「キンちゃん!」
僕の大声にビクッと反応して、顔を僕の方へと向けるキンちゃん。
「どうしたんだい。急に」
「やばいよ。マジやばい。何で気づかなかったんだろう」
「だから何がと」
「家の家事僕が全部してる!」
全く失念していたと言っていい。今の今まで、というか一週間たってから気づく僕のほうがおかしい。
「何を今更」
そう、普通は考えついているほうが正常なのだ。しかし今のキンちゃんの言葉はムカつく。
「というか君はやらないの?」
衣服の洗濯、食事の用意、掃除機をかける、布団を干す、日常品の買い物、その全てを僕がやっていた。洗濯物のしている最中なんか違和感が確かにあった。だって僕がキンちゃんの下着干してるもの。気づけよ僕!
「なんというかな、私の下着まで綺麗にたたむ君の家事に対する能力、恐れ入ったぞ。女物までああも綺麗にしかも下心を見せずにたためるとは」
「そうなんだよね。男物と違って形が複雑なの多いから・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「あれ?ノリツッコミじゃあないのか?」
「ここでのノリツッコミは負けを意味すると思うんだ」
「そうか」
「うん」
・・・・・・・・・・・・・・・言い訳をさせてもらう。ただ、中学生の頃から両親、姉共に多忙で、僕が八割くらい家事を担当していたので、女性の下着に触れるという行為に耐性が出来ているというだけなのだが。それでも女性の下着に全然反応しないというのは若い男性としていかがなものかと自分でも思う。
「ということは、君は女性の下着に反応しないのかね?」
またくだらない質問を・・・・・・・と考えながらも男のアイデンティティーを守るため答える。
「下着そのものには反応しないけど、それが着衣されている状態の下着だったら僕も流石に反応するよ。風でめくれた時とか。まあそんな偶然見たことないけど」
「綺麗な女性の下着だったら?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあ嬉しいだろうね」
僕がそういうとキンちゃんはニタニタと笑う。これはセクハラじゃないのか?既に親父臭い。
「そうかそうか。それなら薄着の私に反応しっぱなしだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は!」
「なんだ!その無言は!」
「流石に薄着でも一週間も似たような格好を見続けてると・・・・・・・」
キンちゃんは僕の家に居候し始めた時点で、今日のようなラフな格好をしている。最初は目のやり場に困っていた僕であったが、一週間もすると家の中を下着姿で寝転んでいる妹と大してかわらないように見えて慣れてしまった。いちいち意識し、反応してしまうのも疲れる。
「何だイブキ君!うら若き乙女に対して」
「乙女っつーか親父・・・・・・・」
「失敬な!あれか!これでも露出が足りないというのか!既に八十%近く露出しているぞ!・・・・・・・・・・わかった!」
「へ?」
何が分かったのか僕はわからなかった。勝手に向こうで納得している。
「マッパだな」
そういうと下半身の布に手をかけるキンちゃん。
「や、やめなさい!」
思わず敬語になる僕。というか家事の話から既に遠くかけ離れた話になっていることに気づく。キンちゃんは家事をやりたくないために、わざと話を逸らしているのかもしれない。というか家事をやりたくないがために男の前でマッパになる女性はどうなんだろう。
「やーめーろーよー」「乙女の尊厳を捨てるわけにはいかない!」「今捨てようとしてるじゃないか!」というような堂々巡りをしていると玄関からチャイムの音が聞こえた。
「いいか、絶対に脱ぐなよ!」
「・・・・・・・・・」
無言を勝手に了承として僕は玄関へと出た。
「はーい」
「お、飛沫。久しぶり」
そこにはこの家の家主、叔父の立松光輝がいた。僕はコウ兄さんと呼んでいる。叔父と言ってもまだ若く、二十台後半でまだまだ人生を遊んでいる。というか、この歳でアパート経営という働く意欲を全く見せない叔父さんだ。ちなみに母の弟。叔父というよりは兄という感覚に近い。
「・・・・・・・・コウ兄さん。久しぶり」
「女の子の声がしたような気が」
僕の挨拶は無視して、部屋の中を覗き込もうとするコウ兄さん。
「ああ、テレビですよテレビ。昼ドラです。最近の昼ドラはよく叫びますよね」
「いや、昔からよく叫ぶけど」
部屋に入りたがってる様子をチラチラと見せるコウ兄さん。やめてくれ。
「何かようですか?」
と言いつつ、玄関にあるスリッパを履き、玄関の前へと移動する僕。そうすればコウ兄さんも入っては来まい。
「中でしゃべらないの?」
「いやあ、中、物凄く暑いですから」
と上半身裸をアピールする。
「ふーん」
まあ、疑うわな。誤魔化せるとは思っていない。しかし確信には至らないであろう。出来るだけばれるのは勘弁願いたい。
「まあいいや。家賃くれ」
「ああ、ちょっと待っててね」
このアパートは珍しく、未だに家賃を手渡しで収めないといけない。コウ兄さんいわく、他人の顔が見えずにお金のやり取りは極力避けたいらしい。何か怖いとか、人間味がないとか言っていた。
僕は玄関にとって返し、居間においてある財布を取りに行こうとした。
「はい。財布」
僕に向けて差し出された財布。
僕は財布を受け取り、玄関からでて一先ずドアを閉める。
あえて状況の説明はするまい。
僕の肩越しに覗いているコウ兄さん。
さて、誤魔化しようがなくなったぞ。
「飛沫、今の」
「はい、コウ兄さん。一万円。悪いね。こんなに安い物件なんて転がってるもんじゃないよ。本当に僕はコウ兄さんに頭が上がらないや」
誤魔化しようがなくなってもごまかさないといけない状況が、今ここにある。
「それはいいんだが。今の」
「ああ、僕の新しい彫刻のこと?すごいでしょ?きっと僕の人生の集大成になると思うよ」
「いや、喋ってたし」
「ああ、友人の音声を録音してドアが開くたびランダムに言葉を発するように設定してあるんだよ。偶然今の状況に即した言葉が出てきて僕もびっくりだ。人生に確率というものが存在するらしいけど意外と侮れないものだよね」
「財布渡してたぞ」
「僕はいつもあれの手の上に財布やら家の鍵やらを置いてあるんだ。家に帰るたびに独り身の寂しさから紛らわせるために」
「お前の家は鍵付いてないだろ」
「そうだな。イブキ君。そもそも私のことをアレ呼ばわりされるとは心外だ」
「ああ、ごめん。アレはないよね。それと鍵と言っても部室の鍵だよ。上級生は全員持ってる。僕は物を無くす癖があるからね。常に使うものは一定の場所に集めて置いてあるんだ」
「そうなのか?」
「私も初耳だ」
「別にそのくらいの癖は他人に言い散らかすものでも・・・・・・・っておーい!」
「ぬお!誰だ君は」
音もなくキンちゃんは外に出てきていた。
「誰だちみはってか?そうです、私が」
「いや、そんなのいらないから」
「いやいや、イブキ君。初対面なのだから挨拶は最後までやらせてくれ」
やるにしても普通にやってほしい。
僕の彫刻は自立歩行し、未来のAIを搭載しているかと嘘をつこうかと考えた。考えただけだから許して欲しい。あまりにもチャッチすぎる。
「で、だれよ?」
そう僕に詰め寄るコウ兄さん。
「えとね、友達の清流院さん」
「どうも。はじめまして。飛沫君の家に間借りさせていただいている、清流院琴音と申します。ここの家主の方ですか?以後お見知りおきを」
さて、友達が遊びに来ているという嘘すらつけなくなったぞ。どうしよう?というかこの人わざとやってるだろう。
ちょっとこっちに来い、とキンちゃんの耳元で囁きコウ兄さんから離れる僕。
「なんだ?どうした?イブキ君。とうとう私の薄着にときめいたか!」
「静に!ときめかないし、もうそれは後にしてくれ」
「して、何用?」
「えとさ、僕の家って、少し過保護なところがあるんだよ。そしてあの人は僕のここの家主兼僕の叔父さん」
「ちょっと待って」
「僕が言いたいことが分かったか!」
「叔父さん兼家主の方がよくないか?」
「・・・・・・・・・・・・どうでもいいよ」
本当にどうでもいい。
「えとさ、だからあの人に・・・・・・・・・っていうか、極力周りの人たちに僕と一緒に暮らしているってこと黙ってて欲しいんだよ。ほら、例え僕らがそのような関係になくとも、一緒に暮らしているというだけで世間は邪推するだろう。特に君の場合は有名だし。ここは大学の近くだからなおさら」
「誰にも言ってはいけないのか!」
勿論、この言葉はキンちゃんが僕の家に住むことになった当初に言ってある。間違いなく言ってある。
「・・・・・・・・・これからは誰にも言わないようにするよ。イブキ君」
さては誰かに言いやがったな?
「まあいい。とにかくだ、君がこの家に住んでいるということは黙っておいて欲しい。僕の切なる願いだ」
「了解した」
そうキンちゃんは頷くと、僕にきびすを返し、コウ兄さんの方へと歩いていった。
もう誤魔化しようがないと思うけど、きっとこの場を取り繕う嘘をついてくれるはずだ。
「えとですね、私は飛沫君とお付き合いさせていただいている清流院琴音と申します」
「ちょっとまてえええ!」
いらない嘘をわざわざついた!
「何でそんな嘘をつく!」
「異性が一対一で同じ部屋に住んでいるというのに恋人じゃないというほうが問題があるだろうと思ってな」
確かにそうなのだろう。しかし、今日たまたま遊びに来ているということにすればいいだけじゃないか。それだけで余計なことを詮索されずに済む。
「飛沫の叔父の立松光輝といいます。へえ、とうとう彼女が出来たのか」
動じないコウ兄さん。ちなみにキンちゃんの言葉には一切否定が入っていないので、「間借り」「お付き合い」の二文字が否定されることなく伝わっていることになる。
「ちょっとまって、コウ兄さん。違うんだ。話がこじれてる」
「ん?何がだ?彼女なんだろ?」
「違う!ちょっとまって。今話すから」
懇切丁寧に嘘を交えつつ話しよう。
僕が身振り手振りで話を伝えようとしたら調度タイミングよく携帯の着信音が鳴った。
僕は思わずキンちゃんの方を見たがキンちゃんは軽く手を振った。
「あ、ちょっと待っててくれ」
コウ兄さんの手には小さい携帯電話が収まっていた。
「ご、ごめんなさい」
これだから携帯ってのは。相手の都合に関係なくかかってくるのが嫌なのだ。思わず僕が謝ってしまう。
五分間くらいたっぷりと話をした後、コウ兄さんはポケットに携帯電話をしまった。
「悪いな。んで、なんだって?」
「えとね・・・・・・・・」
僕は彼女が「いたずら好き」な「友人」で、今日「たまたま」「遊びに」来ていることを懇切丁寧に話した。八割がた嘘なのだが二割真実を交え八割の嘘に真実味を増させる。というか、叔父さんも僕の性格を分かっているはずなので、僕が同棲しているということを嘘と取るはずだ。まあどんなに脚色したところで結局嘘なのだが。
「なんだ。そうなのか」
「納得してくれたか」
「まあそれはいいのだが・・・・・・・・・」
「何?」
「お前の姉貴、今から来るってさ。今さっきの事はなしてしまった」
「・・・・・・・・・・・・・ぇぇぇぇぇえええええええええええ」
声にならない叫び声を絞り出す僕。
事態は最悪な方向へ流れていっている。
「お姉さまがくるのか。それなら私は正装しないとな」
自分が全く悪いとは思ってもいない顔をしながら、家の中に入っていくキンちゃん。
「へ?」
「なんだ。服まで置いてあるのか」
「・・・・・・・・・・・・」
ここはコウ兄さんには正直に話をしていた方がいいのかも知れない。姉ちゃんが来るのなら、絶対に話がややこしくなる。
「じ、実はねコウ兄さん」
数秒前についた嘘を、すぐにばらすというのはバツが悪いが、少しでもこちらの体勢を整えるために僕は正直にコウ兄さんに事情を説明した。