暗く、狭い、そして一人きりの部屋。僕の部屋。落ち着く。こりゃ猫型ロボットっつーかドラエモンここに住み着くのもよく分かる。
「イブキ君。いい加減にでてきてくれないか?」
「イブキさん。ご飯できてますよ」
無視。ガン無視。ご飯なんて一日二日抜いたとしても死にはしない。また僕を引きずり出して言いくるめてそして更に酷い生活に導くはずだ。
「駄目だ。反応がない。只の屍のようだ」
「し!・・・・・・・・・・・・・」
危ない危ない。反射的に突っ込むところだった。
「いいかげん押入れから出てきてくれないか?昨日のことは私たちの冗談だと言っただろう」
「琴音さんたちがイタズラするから」
キンちゃんと梓ちゃんが押入れの外でごそごそと言い合いをはじめる。それはいい。昨日のことは分かってる。しかしそれだからこそ僕は最大限にすねているのだ。からかわれた。男として最大限の屈辱を受けたように思えた。大勢の女性の笑い声。きっと彼女たちは僕が騙されたことをただ単純におもしろくて笑っただけなのだろう。しかし僕にとって、それは嘲りに聞こえた。僕を最大限に小ばかにしたような、まるで奴隷のミスを笑うような、僕にはそれに聞こえた。
僕は真っ赤になり、そしてぶちぎれた。ならばいっそ、逃げたほうが楽だと思い、花中島の家に押しかけ、そして追い出され、自分の部屋の押入れに隠れた。僕が描いた油絵の匂いが染み付いている空間。狭いはずなのだが、暗闇のせいで、それすら認識されない。僕にとって、いま最大限に心地の良い空間なのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だめだ。お姉さん呼ぼうか」
「それが良いかも知れませんね」
ぬおお。待って!それ勘弁!僕のヒキコモリ生活が終わる!話の流れがストップするだろう!僕が引きこもった意味が全然ない!ここはあれだろ、あれだあれ。もう少ししたら僕が少しずつ喋り始めて人間らしい会話をし、そして春を思わすような素晴らしい雪解けがその先には待っているはずではないか。
そもそも選択が間違っている。こんな時にあの人を呼んではいけない。キンちゃんたちの予想以上の特効薬になってしまう。僕にとっても、そしてキンちゃんたちにとってもだ。
とまあ僕の心の叫びむなしく、十分後にアレがやってきた。
「オッオー」
声高に機嫌よさそうな声が辺りに響き渡る。
姉さんだ。歌のチョイス的には「さて、あの野郎をどう料理してやろうか」という気分の時に歌う歌である。題名はロックリバーへである。歌、大杉久美子、セントメリーチルドレンコーラス、コロムビアゆりかご会。軽快な音楽とは裏腹に、姉さんが何か(姉さんが何か楽しそうなことを)僕にする時にこの歌が口から漏れているため、僕の幼少時代をトラウマで染め上げた音楽である。
僕がそんなこと考えている間にその歌声は僕の部屋へと繋がる玄関へ近づいてくる。
「ハイリーハイリーマイケルラスカルララララリンドンラスカル」
ゴシャギ
と壊れる音。
「ああ!姉さん!扉は壊さなくても鍵開いてますよ!」
「ハイリーハイリーマイケルラスカルララララリンドンラスカル」
キンちゃんの制止を無視して靴ごと上がりこんでくる声が聞こえる。
軽快で軽薄で軽重なビブラートが効いた声がどんどん近づいてくる。
ガガ
押入れの中に一筋の光と一本の手が生えてきた。
「やめて、姉さん!押入れは鍵なんかついていない!」
僕が叫ぶが全くの無視。その手は広げられたまま、扉ごと引っこ抜かれる。
ゴガガガ
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ハイリー?」
満面の笑顔で姉さんがそこにいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ディアーラスカル」
僕は満面の涙目で答えた。
姉さんの笑顔が般若に変わった。
「ディアーラスカルじゃねえよ!何してんだ!学生の皮を被ったニートが!人様の財産食いつぶしながら自分勝手に引きこもってんじゃねえよ。ばかじゃねえのか!ああ?おい。ひとまず出てこい、いや、違うな、私がださせてやんよ」
恐怖で固まっている僕の髪を掴み、そのまま押入れから引きずり出す。
「その服、そのパンツ、この家、このテーブル、このベッド、この絵の具、この画板、この筆、この冷蔵庫この洗濯機この水このCDこの漫画この小説この教科書今の生活全てすべて全てすべて全て全てすべて全てすべて全て全てすべて全てすべて全て全てすべて全てすべて全て全てすべて全てすべて全てにおいて生活できているのはだれのおかげだ?」
姉さんの啖呵が始まる。場の全員が凍りつく。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・父さんと母さんと姉さんのおかげです」
「分かってるな。分かってる。お前は分かっている。それとも今気づいたか?」
「分かってました」
「馬鹿じゃねえってことだよな?んならもう一回戻って考えろよっと」
そういうと姉さんは僕の髪の毛と胸倉を掴んで押入れに放り投げた。
上手く着地できず背中から着地し、少し咳き込む。
「ちょっと、姉さんやりすぎですって」
キンちゃんが静止に入ろうとするが、姉さんは優しく切れる。
「黙れ、他人の家庭に口出すな。潰すぞ駄馬が」
キンちゃんがビクッと震える。これでも優しいほうだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
僕は無言のまま押入れから出てくる。
「いよおし。自分の意思ででてきたな。それでいい」
そういうと姉さんは僕の冷蔵庫から勝手に麦茶を取り出してラッパ飲みし始める。
「それでいいって」
「酷くないですか?」
キンちゃんが呆然としている。
梓ちゃんが憤怒して答える。
「いや、きんちゃん。これでいいよ。ごめんね。ただいま」
姉さんは意外と優しい。僕の折れるチャンスを作ってくれた。最大限の暴力とは時に優しさに変わる。僕に非はないまま、姉さんが罪を被り、そして僕らの関係にひびが入らぬまま元通りに戻してくれた。この場でそれが理解できるのは僕だけであろう。
「ええ人や。ホンマ姉さんはええ人や」
と思ったら、そこには何事かを理解している木島がいた。
「何でお前がそこにいるんだよ」
「そこの鬼子母神にらちられてるの。最近」
そうか。僕も半ば放心しているのでなんともいえない。
「まあ一件落着だ」
そういうと姉さんは空になった容器を台所に放り投げた。
僕は心を落ち着け、放心しているキンちゃんと梓ちゃんを残し、壊れたものの修復に回る。ここが壊れたのは今回は姉さんのせいだとはいえない。概ね僕が悪い。
キンちゃんたちの悪ふざけに耐え切れなかった僕の器の小ささが原因だ。どうにかしないと。僕ももう少し心をおおらかに持つべきなのかもしれない。最近心が疲弊しきってる。これは僕の心の小ささから来るものでもあるのではないか?現状をどうにかしようと考える前に、まずは気の持ちようから考えてみても良いかもしれない。
「イ、 イブキ君。ごめんなさい。私たちがふざけすぎたばっかりに」
「いや、いいよいいよ。僕が悪かったんだから」
僕のその答えに、涙目になるキンちゃん。ああ、やめてくれ。今回は本当に僕が悪かったのだから。
僕が立ち尽くしていると、ドアのない玄関から一人の見知らぬ男性が現われた。
「し、雫君。ちょっとやりすぎではないかね?」
現われたわけではない。姉さんの後ろについてきていて、元々そこにいたわけだ。ことの一部始終を見ている男性。誰だこの人?
「ああ、社長すまん。忘れてたわ」
姉さんはそういうとけらけらと笑った。僕も釣られて何故だが知らないが少し笑みがこぼれる。自分の家ではどうでもないことでも、他人に心配されると笑えるわけだ。多分正確じゃないけどそんな感じ。
「忘れてたって・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあ雫君らしいって言えばらしいんだけどね」
改めてその男性を見る。社長と姉さんが言っていたからには社長なのだろう。がっちりとした体格に僕よりも少し高めの身長。暑い中なのにしっかりと自分にあったスーツを着ている。人目で幹部か何かだと分かる。その出で立ちから、自分の事に自信があることが分かる。それも自分の事をしっかりと理解していて、嫌味でない自信だ。
「あ、・・・・・・・・・・・・・・見苦しい場面を見せてしまいました。僕は雫姉さんの弟で飛沫と言います」
「ん?え?そうなの?ああ・・・・・・・話には聞いている。私はって?え?雫君。あの弟?」
少し表情が崩れる男性。
「あの弟。社長の好きなのは押入れの中」
一言姉さんが答える。
「ちょっとすまない。イブ、じゃない。飛沫君。押入れの中を見るよ」
男性が勝手に部屋に上がりこんで、そして扉のない押入れをあさくる。結構非常識な人だ。姉さんの上司だからある程度は許容できるものの。
「うわ!本物だ!・・・・・・・・・・・・・カタログにないのもいっぱいある」
子供のようにはしゃぐ社長。カタログ?何のことだ?
「なあ、飛沫君。この絵私に売ってくれないかね」
「え?売る?何が?」
社長はそういうと押入れの中にしまってあった僕の絵を何作か取り出す。
「勿論この」
そういいかけた瞬間、社長さんはキンちゃんと眼があった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こ、琴音!」
「と、父さん!」
まてまてまて、話が全て中途半端だ。
しかも急展開過ぎる。
僕を取り残して話はどんどん進んでいった。