視線が痛い。
視線とは攻撃力があるものだとはじめて知った。ずっと見られている。穴が開きそう。
講義が始まる前からだった。僕とキンちゃんと花中島。その3人で一緒に歩いている時からそうだ。ずっと見られている。
最初はキンちゃんだけ見られているものだと思っていた。
それはそうだ。ずっとラフな格好をしていたキンちゃん、薔薇姫が女性らしい格好をしている。みんな始めてみる光景だ。歩いている途中でキンちゃんは何回か知人らしき人に呼び止められ「どうした!琴音!」「そんなことしても日本経済はよくならないよ!」などなど声をかけられていた。教室に着く頃には流石のキンちゃんも気分を害していたみたいで、「私は普段どのように思われていたのだろうか」と本気で口にしていた。どのようにと言われてもそのようにとしか言えない。
しかし、見られていたのはキンちゃんだけではなかった。確実に僕も見られていた。何故だ?どうしてだ?
そしてそれが決定的になったのが、講義が始まる寸前のキンちゃんと教授、そして僕のやり取りだった。
「はい、授業をはじめまーーーーーーーーーってえおい!清流院!なんだその格好は!」
「何だと言われても」
「お前一人がそんなことしても日本経済はよくならんぞ!」
「あなたは生徒にどんな教育してるんだ?他の生徒からも言われたぞ」
「なんだ?男でも出来たか?」
「お、しかしさすが先生。するどい。私の親指はこの人」
そういってキンちゃんは大人数の前で僕を指差した。勘弁してくれ。秘密にする気全然ないじゃないか。前にした約束はなんだったのか。
「誰だ、名前は?」
「あ、僕は和泉飛沫と言います」
「いいのか?君は?人生終わるぞ」
その言葉を聞いた瞬間、この人は僕の味方だと思った。
「せ、・・・・・・・・・・・・先生も口が悪いな」
そしてへこむキンちゃん。口が悪いんじゃない。冷静に物事を見れる人だ。実際に今の僕の人生は終わりかけている。
教授は僕の横へと歩み寄り、そして耳打ちをする。
「君、今度のテスト優にしておくから僕の授業くらいは休んどきなさい」
貴方は神父か。
「まあいいや。授業開始。君たち寝ていいけど私語したらテスト零点な」
そして教授は冷静に講義を開始した。
そして現在に至る。僕は授業どころじゃなくなっていた。大半の男子生徒の目線が僕に向いている気がする。自意識過剰か?
それはその授業が終わっても変わりなかった。というかむしろ酷くなっていた。教室から出ても僕へと視線は注がれる。中には僕に近寄りガン見してくる兵までいる。芸能人とかいつもこのような視線を浴びているのだろうか?あいつらこれが快感だっていうのか?頭おかしいんじゃないか?
「頭おかしいんじゃないか、いや、まあそれは人それぞれだろう。ただお前が人前に出るのが苦手なだけだろう」
「いや、まあそうなんだけども」
場所は部室。僕は花中島と話をしていた。その後の授業はサボタージュしてしまった。新学期初日からサボるのは気が引けたが、僕の心は頑として動こうとしなかった。これじゃあ梓ちゃんに今後注意できない。
時間は五時過ぎ、僕たち二人以外にもちらほらと部室には部員が集まり、制作活動をしたり暇つぶしのために喋ったりしている。
まあ、僕の方をチラチラと見ながら喋っている部員がほとんどなのだが、外にいるよりはマシだ。単純に視線の数が少ないのと、何より知り合いばかりというのが僕へのダメージの軽減に繋がっている。
「本当に薔薇姫と付き合っているんですか?」と既に数人の部員から質問があった。僕は言葉を濁しながらそれを肯定した。キンちゃんが肯定してるのを公言したのだから僕が質問されたのを不問にするわけにはいかない。
一人が僕に話を聞き始めると次々に周りから質問が起こる。「どうやって出会ったんですか?」「付き合う経緯は?」「どのような状況で?」などなど。僕がこの質問に片っ端から答えていけば色々と終わるだろう。
「まあそれは追々。今は暖かく見守っててあげて」と言ったのは我が盟友花中島。男気のある信頼の厚い男。彼の一声で質問大会は終わり、今現在の状況、生暖かい目で見られている状況となったわけだ。
これで僕の居場所はなくなった。家に帰ってもノビノビ出来ず、学校にきて大衆に埋もれるということも難しくなった。この状況があとどれだけ続くのか全く予想が出来ない。今朝花中島が言ってくれた言葉がなければ僕は失踪していたかもしれない。とりあえずは明後日まで我慢してみよう。
僕が気晴らしに絵を描き始めて約一時間。時計の針が六時を過ぎた頃、珍しく木島が部室へとやってきた。新学期初日から学校へ来ている木島を見るのは初めてだ。木島は大体休み気分を引きずって、新学期最初の一週間は休む男なのに。
「木島珍しいな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
木島がブッスーとした顔で僕の顔を見ようとしない。これもまた珍しい。毎日が能天気なのに。
「ど、どうした?木島」
「・・・・・・・・・・・二号に道案内頼まれた。何でまだ休みなのに学校にいかにゃならんのだ」
まさかこいつは毎回学校が始まる日を勘違いしてるんじゃないのか?
木島よ、学校は始まってるぞ。と言おうと思った瞬間に木島の横にいる人物に気がついた。
「愚兄、刺しますよ。二号は失礼です」
「愚兄って言うな」
木島の横に梓ちゃんがいた。っつーかいる。
え?なに?なんで?なんでここに梓ちゃんがいるの?
「え、ど、どうしたの梓ちゃん?」
「六時前に授業が終わると聞いたので今の時間に来ましたが何か?」
僕が聞きたいのはそこじゃない。
「いやいや、来た理由は?」
「初めて恋人が出来たので一緒に下校するという感覚を味わってみたいと思いまして」
「書物で見聞きしたことを確認したいような説明だな!」
「まあその通りなのですが」
とまあ僕はツッコミを入れたわけなのだが、周りは静寂に包まれていた。
みんなの頭の上にクエスチョンマークが見える。
「その女子高生は木島さんの恋人ですか?」
「妹を恋人と呼ぶ奴がいたらそいつは変態だろ。こいつは俺の妹だ。愚兄って言ってたろ。あだ名じゃないぞ。愚かな兄って言う意味だ。俺は全然愚かじゃないけどな」
それは自覚がないだけだぞ。木島。
しかしこの流れはヤバイ。
部員が木島へと質問している。
梓ちゃんの恋人探しを始めている。この部室には数名しか男がいない。女子部員の目が爛々と輝き始めている。何故女性はこの手の話や関係を聞きたがるのか?そっとしておけばいいものを。
「えっと、君の名前は?」
「はい。私の名前は木島梓といいます」
「恋人ってだれ?」
「そこの」
そこの、と言いながら梓ちゃんは僕の方向を指差した。
マズイ。非常に不味い。
顔から一瞬にして血の気が引く。
指を刺した方向に皆の視線が集まる。僕は花中島の方を見る。目と目が合った。
助けてくれ、と目で合図。花中島は無理無理と自分の顔の前で手を振る。「俺がこのタイミングで話を逸らしたら余計怪しまれる」と、花中島の目は語っている。きっとそうだ。
そして僕は思わず木島兄にアイコンタクトをした。
木島と目が合う。助けろ木島!そこで木島は全てを感じ取った表情をした。そしてオッケーとでも言いたげに僕に向かってウインクをする。
ちなみに僕は木島のウインクに吐き気がした。
この間約0.5秒。
「ちょっと梓いいか」
「はい。なんでしょうか?」
ひょっとしたら僕のアイコンタクトを勘違いして、木島が全てをばらすんじゃないかと一瞬思ったのだが、木島は僕の心を理解したみたいで梓ちゃんを止めに入った。
「仮にもお前は女子高生だ。そしてここにいる人たち皆大学生。中には二十歳を超えている人もいる。年齢のことを考えてみろ。人によっては犯罪になるかもしれないことを皆の前で公言してもいいのか?」
いいぞ木島。今日からお前は盟友だ。そのまま上手く論理で固めてしまえ。梓ちゃんをこの場だけでいいから黙らせるのだ。このタイミングで梓ちゃんを黙らせることが出来るのは兄である木島しかいない。
「・・・・・・・・・・・・・全くもって健全な関係を保っての付き合いをしています。誰にも恥じることはないです。それでも人に公言するなと。私を侮辱するつもりですか?」
あ、梓ちゃん。こんな時にキレなくても。それに果たして健全な関係といえるかどうかは本当に怪しい。というか健全ではないような気がするぞ僕は。健全だったらここまで事態が深刻になっていることはないと思うぞ僕は。
「おい、梓」
そして木島にも火がつく。もうこの時点でただの兄妹喧嘩になっていた。
「何ですか?」
「えっとな、空気読めって普段から言ってるだろ。確かに何事も正直に話をすることはいいことだ。しかしな、時には黙っておくことも必要なんだ。嘘をつけとまでは言わない。きっとお前には難しいだろうから。だからな、黙っておくことだけでも覚えろ」
「何故?今この場で黙っておくことを覚えないといけないんですか?」
「だからな、イブキがバ、清流院さんと付き合ってるってことを周りは知ってるんだ。けどな、まだお前とも付き合っているってことはばれていない。ここでお前がイブキと付き合ってることを公言してみろ。事情をよく知らない人はイブキが二股かけていると思ってしまうだろう。まあ実際は二股なんだが。ただ、公認の二股ってだけで。しかし世間様は二股と聞いてどう思う?イブキは最低な男と思われるだろう。だから今お前がイブキと付き合っているってことは黙っておいたほうがいいんだ。イブキに迷惑がかかるから。そこの空気読めってことだ。なあ、イブキ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ってッアーーーーーーーー!」
僕は開いた口が塞がらなかった。
お前はアホだ。
「すまんイブキ!喋っちゃった!」
ちゃったじゃねえよ。
更に追い討ち。全てを肯定する言葉。この日、一つの世界が完全に終わった。
途中で気づけばよかった。木島は馬鹿じゃないがアホだったと。
「ごめん!本当にごめん!ごめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ・・・・・・・・・・・・鬼や。ここに鬼がおる」
僕の表情は鬼らしかった。
一瞬、木島への怒りが限界を超えたのだが、元々は僕の蒔いた種だと気づく。
木島が悪いわけではない。元々は僕が悪いのだ。木島も言っていた。正直なのはいいことだと。嘘をつくわけにはいかない。
「いや、違う。ごめんな。木島。ありがとう」
木島は僕をかばってくれようとした。その心意気は受け取ろう。
ここで僕が嘘をつけば、それは梓ちゃんとキンちゃん、この二人を裏切ると言うことじゃないのか?
そうだ。僕がここで梓ちゃんとは付き合ってないと嘘をつく。そしたら梓ちゃんは酷く傷つくだろう。「初めて恋人が出来たので一緒に下校するという感覚を味わってみたい」と梓ちゃんは言っていた。その気持ちを裏切ることにもなるだろう。
言わなきゃ。僕は言わなければいけない。せめてこの場にいる人たちだけにでも。
部室ではひそひそと話をする声が広がっていた。「女子高生とも付き合ってるの?」「二股?」「あのイブキさんが?」「す、すげぇ。薔薇姫と綺麗な女子高生と同時に付き合えるなんて」「やっぱイブキさんは格が違うわ。マジ尊敬する」などなど様々な囁き声が聞こえる。男子学生に関しては賞賛気味なコメントが入っているのは僕の勘違いだろう。きっと皮肉だ。
一先ずことの経緯を説明しよう。そして僕は現在二人の女性と付き合っていることをキチンと皆に説明しよう。そして僕のわがままだが、出来ればここの部室だけの秘密にしておいてくれるように。責任を取らないといけないのは分かっている。しかし、僕の精神は耐え切れそうにない。そこだけは頼み込もう。
「えっと・・・・・・・・・・・・・・・皆に説明っていうか言いたい事がある」
僕がそう口を開いた瞬間、また部室に人が増えた。
部室の扉が開く。
「お、イブキ君いるな。お、梓ちゃんまでいる。調度いい。恋人たちで下校でもしよう。いいなイブキ君両手に花だ。こんな綺麗な恋人が二人もいるなんて、君はこの世の幸福を一身に背負って生まれてきたんだなきっと。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、あら?なんだい?なにこの雰囲気?」
「な、なんですか?この雰囲気?」
キンちゃんと花ちゃんが入ってきた。
キンちゃん空気読め。