焼肉の準備



 キンちゃんがメールをしてから三十分後。

「やっほ!」

 姉が現われた。

僕は逃げ出した。しかし回り込まれてしまった。逃げられない。

「な、何で姉さんが来てんの!」

「すまない。私が呼んだ。前回会った時に『飲み会する時は呼べ。飛沫に黙って呼べ』と言われていたものでね」

 無駄に姉の声帯模写をして説明するキンちゃん。

「返事は!」

「あ、や、やっほ!」

「よしよし。しかしあほか。焼肉に私を呼ばないで誰を呼ぶんだ」

 焼肉魔人が現われた。

 誰を呼ぶって友人とか呼ぶんだよ。

 姉はこの間と同じく窓から現われ、靴を脱がないまま僕の部屋に上がる。右手ででっかい箱を持って背中に背負っている。

「そもそもお前んちホットプレートないだろう。どうやって焼肉すんだよ」

「あ、忘れてた」

 基本的に僕の家で人が集まってご飯を食べるという習慣がないので、みんなで食べるような器具はそろっていない。

「ありがとありがと」

 僕は姉さんの手からホットプレートを箱ごと奪い取って姉さんを窓際に追いやる。

 姉さんの背中を押してグリグリと。

「なんだ?私に自殺でもしろと?」

「そこまでひどくねえよ!窓を玄関として認識してんじゃないのか!」

「窓は窓だろう。馬鹿かお前は」

 正論だ。正論だけどムカつく。

「姉さん仕事は?」

「全部部下に押し付けてきた」

 最低だ。

「明日も仕事でしょ?僕たちは朝方まで飲むよ?」

「明日の仕事は二日酔いで休むって会社に言ってる」

 最悪だ。どんな会社だよ。

「帰ってください」

「お?それ私に言ってんの?」

 姉さんは僕に向きなおし、表情を消して僕に言う。こええ。

 しかしここで僕が引くわけにはいかない。引いたら飲み会がえらいことになる。

「駄目だよ。そんな顔しても。帰れ!帰って!帰ってください!」

「そ、そこまで言うのか。仕方ない」

「なんていうと思ったかボケが」

 非常識に一人で二段落使う姉。二行目を使った瞬間に僕の喉が焼け焦げる。そして僕の体は浮いた。

「ちょ、姉・・・・・・さん・・・・・・・・・シャレに」

 姉さんは僕の喉を右手で掴み、軽々と持ち上げた。どこの漫画のキャラクターだ。

「お前はただ頷け」

「・・・・・・・・・・じ、じぬ」

「勿論飛沫は私が焼肉に参加するのは賛成だよね?というより、むしろ私がいないと寂しくて仕方ない。姉さんが焼肉に参加してくれないと僕は今日肉は食べれないよ!という心境だよな?」

「・・・・・は・・・・・・・・な・・・・・・し・・・・・・・なげぇ」

「頷け」

 僕は限界に達し、思わず頷いた。本当に死ぬ。

「あ、やっぱり?そうだよなあ。飛沫が私に帰れなんていうはずないもんね。むしろ言わないように私がしつけてきたんだから言うと困るんだけど」

「・・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・」

 頷いたにもかかわらず、自分の話に夢中で手を放さない姉さん。

 記憶は途切れた。




 越後屋の格好をしている姉と下卑た笑いを顔に貼り付けているキンちゃんが、蝋燭の明かりに照らされて座っている。

「して、琴音嬢。首尾はどうかね?」

「は、姉御。最初好き勝手に過ごしていたら段々と煙たがられました。それでこうなりゃ既成事実作っちまえとイブキに接吻をさせるように仕組んだのですがぁ、いかんせん途中でばれやしてね。彼奴はかなり怒り狂ってました。そのときふっとあっしは変化球ばかり投げていることに気づきやして、こうなりゃあっしに備わっている女性らしさを出していってはと思いまして。そうなると、見る見るうちに彼の表情は穏やかに、そしてあっしといることを自然に受け入れるようになりやした」

「ほうほう。首尾は上々ってところかい。飛沫は手に入れられそうかね?」

「へい。上手くいけば今日にでも。あっしの事を嫌がっているようには見えませんので。むしろ私が家事をし始めて、昔とのギャップに萌え、今の生活が以前より気に入ってるようですわ」

「ふむふむ」

「どうですかね?姉御?姉御の目から見てあっしはいけそうですかい?」

「恐らくいけるんじゃねえかな?」

「よかった。姉御にいわれりゃあ勇気百倍ですわ。ですけど姉御のアドバイスあまり役に立ちませんでしたぜ」

「おかしいな。私の背中を見て育っているのだから、自由奔放な女性の姿に憧れていると思ったのだが」




「萌えてねえし!姉さんにゃ憧れてねえし!」

 自分のツッコミで跳ね起きた。

「お、おう!どうした!」

「ど、どうした!イブキ君!」

 キンちゃんと姉さんがテーブルを挟んで僕に向かって声を発する。何か話しをしていたみたいだ。

「あれ?いや、えーっと。・・・・・・・・・なんだっけ?」

 さっきまで見ていた夢の内容が詳しく思い出せない。大部分がぼやけて細部しか思い出せない。

「えーっと確か・・・・・・・・・・・・姉さんとキンちゃんが僕をなんか貶めようとしている話だったような」

「な、なんて言いがかりだ!貶めるなどと嫌な言葉使いを使うなんて!」

「そ、そうだ!お前の不・・・・・・・・じゃない、幸せを願う心と私のたの・・・・・・・・じゃない!姉心が分からんというのかね!」

「ちょっと、姉さん。『不』と『たの』の続きは何ですかね?それは私とイブキ君の関係に不要な気がしますけど」

「あー、何だ?私はそういう揚げ足の取り方って嫌いだな」

「揚げ足以前に普通の質問です」

 僕をよそに、二人であーだこーだと言い合いを始める。

 なんだっけな。もう少しで思い出せそうな気が。

「おじゃまします」

「んー!この家イブキの匂い!あーもうアイラブイブキ!私はイブキを愛しています」

「タケちゃん・・・・・・・・・・・この人とイブキンってゲイ?」

「ゲイ?・・・・・・・・・・どうなんだろ」

「そこ!勝手な憶測でものを言わない!後木島はキモイ!」

 来訪者が来たようだ。木島のキモイ発言で思い出せそうな夢が一気に飛んでしまった。男二人は失礼しますの一言も言わずに勝手にズカズカと入ってくる。

 キンちゃんと姉さんの二人も人が入ってきたのに気づいていい争いを止める。

「ぬお!清流院さんもいる!」

「どうも。初めまして」

「さ、三度目の初めましてって」

 キンちゃんと木島は毎度おなじみの挨拶を交わす。

「イブキン入るよー」

「勝手ながら失礼します」

 友永さんと一緒に・・・・・・・・・・・・梓ちゃんも入ってきた。

「あれ?梓ちゃんもいるの?」

 玄関を上がり、僕が腰を落ち着けている居間までやってきて気づく。予想外に梓ちゃんまで来ていた。

「・・・・・・・・・・・それでは帰りますね」

「いやいやいや、別に梓ちゃんが来たのが嫌ってことじゃなくて、梓ちゃんが来たことにビックリしていただけだよ!」

「・・・・・・・・・・・そうですか。ならいますね」

 梓ちゃんはそういうと、一人机の前に腰を落ち着けた。一人だけマイペースだ。

 一気に室内の人口率が上がった。というかこの人数が僕の家に入ってきたのは初めてだ。

「イブキ。肉だ」

 花中島が僕に向かってスーパーの袋を投げつける。僕はそれをキャッチ。

「イ、イブキ!あそこに座ってらっしゃるお姉さまは?」

 木島が僕の耳元に口を寄せて囁く。吐息が気持ち悪い。

「あー、ごめん。勝手に一人増やしちゃって。僕の姉さん。自己紹介は梓ちゃんも交えて当人同士でやって。僕は面倒くさい」

「ほ、ほいきた!」

 ほいきたなんて何年ぶりかに聞いた掛け声だ。

 元気よく姉さんに喰らいつく木島。木島のM体質っぷりがわかれば、姉さんは木島をいじりまくるだろう。梓ちゃんと友永さんも軽く姉さんに挨拶をする。木島、見た目に騙されるな。その人は悪魔だ。

 最後に木島が時間をかけて挨拶をし始めた。

 そして友永さんと梓ちゃんは動き出す。

「イブキン、冷蔵庫見ていい?」

「いいよ」

「んー、誰も入ってないね」

 友永さん怖いから止めてくれ。

「飛沫さん。エロ本とか隠してないんですね」

「そこ、ベッドの下漁らない」

 女子高生の好奇心ってのも困る。この子は対応の仕方にも困る。

 部屋の中が一気にガヤガヤと騒がしくなる。

 花中島が勝手にダンボールを開けてホットプレートの準備をする。

「イブキ。準備だ」

「ああ、そうだね」

 みんながみんな自分勝手な行動を取る面子。

 そして最悪な焼肉は始まった。


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