黄色い光は夕暮れに当たる−悪い癖の者語り−

 最強と無敵という言葉がある。

 共に強さを表す言葉だ。

 最強、それは文字通り最も強いということだ。その全身を使い、戦い、そして立っていたほうが強い。それを延々と繰り返す。そして最後に立っていたものが最強となる。

 しかし、これは実際には出来ないことで、そして実際になしえない。最強に近い人物はいるのだが、それを決めるためには最後の一人になるまで闘わないといけない。それは最強という言葉を肯定し、そして否定することになるからだ。結果とは比較がないと成り立たない。

例えばここに一つの石があるとする。しかしこの世に石は一つしかない。それならばその石を大きいと定義できるのか?

答えは一つ。出来ない。

世界に石はその一つしかないからだ。世界一大きい石ではあるかもしれないが、同時に世界一小さい石でもある。元々は他にも石があり元々世界一大きい石だとしても、比較するものがなければこれは相反し、同時に存在し得ない言葉となる。世界一小さな石があるとして、そしてそれ以外の石が消えてなくなる。それと同じ事だ。大きいなんて言葉が意味を保てなくなるからだ。よって物が一つしかない場合にはそのものの大小を決めることなどできやしない。

それと同じように最強なんて最終的には決められない。僕はそう思う。

しかし、無敵という言葉はありえるのだと僕は思う。

無敵、文字通りで表すと「敵無し」。つまりは最強と同じように使われている。

しかしそれは片方からの見方であって、無敵はこの世界にありえる存在となる。

僕が今から話す話は、その「無敵」を実際に体現している人の話だ。

正直、僕にとっては化け物としか思えない。

しかし、その人は別に最強というわけではない。

その人はこの世界で強さのランキングがあるとしたら半分にもランクインできないことだろう。

僕が話す話はその人の話だ。最初は違和感しか感じない、少々つまらない話かもしれない。

もしかしたら僕とは違い、その気味の悪さに最初から気づく人はいるのかもしれないが。

少々回りくどい言い方になった。

僕の悪い癖だ。

直接言えばいいのに、いつも物事の核心を隠して、人の反応を楽しんでいる。

直接言おう。その人とは「和泉飛沫」。僕が通っている大学の先輩。

そして僕が入部したサークルの先輩でもある。

これは僕が大学に入学して、「僕」を「俺」と呼んでいた頃の話だ。

僕の俺というお話。時は六月の下旬、二十七日。とにかく雨量の多い日だった。

場所はよくありがちな薄暗い路地裏。時間は真夜中、午前一時。

 僕の顔を覗き込むようにして、心配そうな顔をしている一人の先輩と、そしてその隣にいる表情が読めない一人の先輩。

 僕の話はそこから始めるとしよう。


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