一、扇風機さえも嗜好品
扇風機が風を僕にぶつける。ぬるい風。むしろ熱い風か。
僕が着ているシャツをはためかせてホンの少しだけだが肌にまとわり付く暑さを拭い去ってくれる。
「おい、イブキ、この部室にはなぜクーラーがない?」
扇風機が首を振っているものだからそれに合わせて移動している友人、木島 悟がぼやく。ちなみに僕の本名は和泉 飛沫だ。略してイブキと言う輩が多いのだが仮面ライダーの見すぎだと思う。
部室には他にも女子部員など多くの人がいるのに、人目を気にすることもなく上半身裸でついでに団扇を扇いでいる。整った顔には目に見えるほどの大粒の汗が伝っていた。
「この部室だけじゃない。いかなる部室にもクーラーは付いてない」
これ以上ないくらいの説明をした。様々な愛好会から部活までがひしめき合っている部室でクーラーを設置している部室なぞ拝見したことはない。また勝手に設置したところで学生課に怒られるのは目に見えている。何より仮に勝手に設置したらブレーカーが落ちるに決まっている。冬場は赤外線ヒーターを各部室で稼動させてるのでたまにブレーカーが落ちる。
「そんなことを聞いているわけじゃない」
そんな話じゃ納得できない、という意気込みで僕に突っかかってきた。
きっと僕が今思ったことを話せば済むのであろうが説明しなかった。なんていうか、暑さで口を開くことすら拒まれる。
「そんなことより上着を着ろ。周りの女の子が顔を赤くしてる」
この暑い中、絵を描くという物好きが他に五人いるわけだが、そのうち四人が女の子であった。基本的に美術部というのは女子の比率が多い。その割には有名な画家などの多くが男性なのはどういうことなのだろう?
話がそれた。
喋らなければアホがばれない、というかそれ以上に見とれるほどの美男子が上半身裸で部屋の中をうろついているという状況は、まあ女の子にしては赤面ものらしい。僕に関しては視覚で暑さが増すし、何より不愉快だ。
「あ?皆暑いだけだろ」
それに気が付かないアホ。話をするだけで更に暑さが増した気がする。アホに説明しても無駄か。
僕はそれを無視して絵に色を乗せていく。
油絵はいい。色を表現するにあたり、失敗という概念がほとんどない。色を乗せれば乗せるだけ深みが増していく。まあそんなこと思っているのは僕だけかもしれないが。
「なあ、ねえ、よう、おいってば」
様々な呼びかけで僕の気を引こうとする。無視し続けようとしたが執拗な呼びかけ文句に痺れを切らした。
「んだよ」
なが出なかった。よっぽど僕の気持ちは荒れているらしい。
「なんで今日俺がここにいるのか聞かないの?」
ものすごくかまってオーラを出しつつ恥ずかしそうに流し目をする。気持ち悪い。
「幽霊部員の木島悟君が今日来たのは如何様な用事があるんでございましょう?」
面倒くさいのでさっさと話を終わらせることにする。さっさと話をきいて自分の作品に取り掛かりたい。
「えー、どうしようかなあー。んーやっぱり恥ずかしいから、ひ、み、つ」
「お前出て行け」
僕は座っていた椅子を持ち上げ、木島を殴ろうと振り下ろしたが寸前でかわされた。
「!!ちょ、まて、落ち着け、この場を和ませようという冗談だ」
「一先ず外に出ろ」
今度は木島に椅子を投げつけた。結構勢いをつけて投げたつもりだったが、木島はそれを難なくキャッチした。
僕は思わず舌打ちをする。
「ちょっと、そんなにイライラすんなよ。やっぱ暑さってのはいかんね」
「お前のせいだよ」
僕はもう一つ横に置いてあった椅子を掴み木島と一緒に部室の外に出た。
僕たち、美術部の部室は部室棟の三階に位置している。部室棟の最上階。いちいち階段を上っていかないといけないのは面倒だが、夏場は高い位置にあるおかげで風が強く、日陰にいると風が強くて結構涼しい。
部室前の通路に椅子を置き腰掛ける。
「で、何のようだ?僕は見ての通り忙しい」
「カリカリすんなって。あー、何の話だったかな」
「重要な話じゃないなら僕は聞かないぞ」
「いや、まあ、そのねえ・・・。別に席を移してまで言うような内容じゃないし・・・」
僕はその煮え切らない態度に苛立ち席を立とうとした。
「ちょっと待ってって」
「だから何だ?簡潔に言え」
木島がしょんぼりとした顔になる。喜怒哀楽が激しい男だ。僕はこうも上手く表情や雰囲気で感情を表せる奴を知らない。
「俺にとっちゃ重要な話なんだが・・・。いや、まあ正直言うとな、愚痴を聞いてもらいたいだけなんだが」
「僕じゃなくてもいいだろう」
「いや、俺男友達少ないし、それに男友達で彼女いないのお前だけだし。彼女いる奴に慰められてもムカつくだけだし」
失礼な奴だ。愚痴っていうのも女がらみのこと何だろう。確かに僕は彼女がいないし。付き合ったことのある女性など高校生の頃に一人いたか?ってくらいの薄い付き合いしかない。
・・・・・・・いや、その通りなんだけど何かムカつく。
「また今度聞いてやる」
わざわざ暑い中こんな話に付き合うことはない。そう思い席を立とうとする。
「嫌だ!今日じゃなきゃ嫌だ!今じゃなきゃ嫌だ!ヤダヤダヤダ!」
僕の足に子供の様に泣きつく木島。その声は部室全棟に聞こえるんじゃないのか?ってなくらいにやかましかった。構わず部室に戻ろうとするがヒステリックな子供よろしく、ボリュームを上げてヤダヤダと叫び続ける。
他の部室からこちらを覗き見る人たちが出てきた。初めからそれが目的だったのか、どんどんボリュームを上げて叫ぶ。他の人たちに非常に迷惑だ。っつかこれをどんな状況と見るのか?上半身裸の男が男の足にすがりつき「嫌だ嫌だ」と泣き叫ぶ。先に言っておくが僕は普通に女性が好きだ。
ものすっごく嫌だったのだが、変な誤解を招く前に僕のから折れることにした。
「やめろ木島。話聞くから」
周りには軽く人だかりが出来ていた。美術部からも何人か一年生が顔を出して何事かと見ている。二年生以上になると毎度の事だ、という風に気にも留めていない。
僕の声が聞こえるや否や、木島は途端に泣き止んだ。僕の足を放して立ち上がり、ズボンに付いた砂を払う。そして一言言い放った。
「最初っからそう言えばいいんだよ」
僕は知らないうちに木島の横っ面を殴っていた。
こいつが男友達少ないのは仕方がないことだと思う。