薔薇姫と花

 顔から火がでるとはこのことなのだろうか?

 琴音は内心ごちた。

 帽子を被り、男性か女性かを濁す服装をしたまま女性用のトイレに入っていく。

 個室に入り手早く鍵を閉めて、帽子を取る。コツがあるのだろう。上手く帽子の中に納まりきっていた髪の毛が空中で解ける。そして服の中に手を入れ、胸の辺りをいじる。すると帯のようなものが服の中から落ちてくる。隠していた胸の膨らみが本来の大きさに戻った。

「あれは赤面ものだよなあ」

 ため息と同時にバッグからブラジャーを取り出し、服を脱がないまま、器用に服の中に入れ込み胸に取り付ける。

 あの場面を見られていたとは予想外、むしろ考えもしなかった。しかも写真ではないものの、絵に描かれている。彼が写真部ではなかったことに感謝をしよう。

 琴音は次々に自分を落ち着かせる言葉を自分に語りかける。

 それは偽ることのない琴音の心情だった。

 服装はラフなまま着替えなかった。しかしながら、トイレに入る前よりも体の凹凸がハッキリとして、彼女が女性だということは見た目で分かるようになった。

 荷物を持ち、そのまま個室をでて軽く手を洗う。鏡で自分の髪の毛を確認し、少し撫で付けてすぐにトイレを出る。

 トイレの向かいにある教室へと入る。

 数秒室内を見回し、誰かを探す。

 すると琴音が見つける前に、その探していた人物が手を上げる。

「キンちゃん!こっちこっち!」

 そこには友永花が座っていた。

 琴音も軽く手を振り、その隣の空いている席へと向かう。

「今日は珍しく遅かったね!」

 室内は休み時間特有の騒がしさに包まれているが、それでも教室の隅々まで聞こえるかのような大きな声で、友は琴音に話しかける。

「ちょっと話し込んでてね」

「だれだれ?誰と?」

 人懐っこい犬のような反応で琴音に話しかける。

「今日新しく出来た知り合いだ」

「男の子?」

「そう。何で分かった?」

「勘!しかしキンちゃんが男の子と話し込むなんて珍しいね!」

「・・・・・・・・・・・・そうだったかな?あまり意識していないのでそこらへんはわからない」

「珍しいよ!」

「まあ気の合う男性ではあったね。何と言ってもツッコミがいい。ノリもいい。初対面の人にあそこまで突っ込める人には初めて会ったな」

「キンちゃんが褒めるなんてめーずらしー!」

「ん?あれ?褒めたか?そういや褒めてるな?」

「しかもテンション高いし嬉しそう!」

「そ、そうか?」

 ただでさえ注目を集める琴音だったが、花の大きな会話により、更に注目を集めている。二人の周りに座っている男子学生は聞き耳を立てるまでも無いが、その会話を聞くために突如無言になった生徒が何名かいた。

「あの、清涼院さんですよね?」

 琴音と友が二人で話をしているところに、一人の男子学生が話しかけてきた。

 辺りが一瞬更にざわつく。そして視線が琴音に集まる。琴音はまたか、とウンザリした顔に変わる。友はその男子学生をじっくりと観察し始める。

「はい、わたすが清流院琴音です」

 変なオジサン風におどけて答える琴音。

「ですよね、ですよね。あの、ちょっと話があるのですが」

 男はそういうと前髪を軽く持ち上げる。

 琴音のボケには突っ込まなかった。

 うう、今回の人は生理的に気持ち悪い。

 琴音は心の中で呟いた。

 その男はハッキリいって格好がよかった。流行をキチンと追っているのだろう。若者風に軽く腰辺りにずらされたジーパン。白いシャツを胸元を開けて着こなし、そしてジーンズの中に入れている。ベルトもピカピカと光り、「高いんですよー」と自己主張をしている。シャツの中は黒いタンクトップを着ていて、軽く締まった胸元を強調している。そして手首周りや首周りには光物をぶら下げている。

 こういう人って毎朝着ていく服に時間をかけて考えるんだろうなー。鏡とか大好きそう。

 琴音が考えていると、また軽く髪を撫で上げる。

 うへえ。

 その動作をするたびに琴音はウンザリとした。きっと鏡の前で、何度もその動作をしているに違いない。

「君、鏡とか好き?」

 「話があるのですが」の後も、一生懸命琴音に対して予想通りのデートの誘いをしていたのだが、琴音は既にそれが耳に入っていない。男が喋り続けいている途中で唐突に言葉を挟んだ。

「え、俺?」

「うん、そう」

「鏡?え、鏡・・・・・・・・・・・好きだね」

 最初敬語で琴音に話しかけていた男だったが、自分で話をしているうちに緊張がこなれたのか、タメ口に変わっていた。

「やっぱりそうか。ちなみに私は嫌いだな。一日に鏡を見る時間も一分までと決めている。残念だ。君とはこれ以上話をすることができない」

 琴音は面倒になって、滅茶苦茶な理由で断りを入れる。

「へ?・・・・・・・・・・・え?意味が分からない」

 意味が分からない。よく琴音が男性から言われる言葉だった。

「・・・・・・・・・・・・・・はぁ」

 普通だ。つまらない。

 琴音は机に突っ伏した。

「はい。花ちゃん採点お願い」

「まってました!」

 男性が喋っている間と、琴音が軽く質問をしている間ずっと男性の顔をじろじろと見ていた花が活発に答える。

「まずは話し方!いくら緊張しているとはいえ、主語述語副詞形容詞助動詞助詞使用方法全部滅茶苦茶なーのだ!その場のノリでしか会話していないと日本語破壊されるよ!たまには本を読もう!続いて、貴方の心の中!下心見え見え!キンちゃんが話しかけた瞬間に思わずタメ口に変わってしまったのが『やった!釣れた!』と思ってしまった貴方の心情を物語っています!そして出来る限り自分の見栄えがいいように固定された角度のいい顔!髪をかき上げる仕草!キモイ!死ね!そして詫びろ!知恵があっても教養がない!どうせ日頃からやっすい女食い漁ってんだろ!点数は百点満点中三十点!赤点だ!三十点は貴方の生まれ持った格好良さ!よかったね!親に感謝しろよ!」

 大きな教室に一瞬静寂が満ちる。それに反するように琴音は笑う。

 大きな声で教室の隅々まで聞こえるように言う友。本人は意識してその大きさにしているわけではないのだが。

 一瞬呆気に取られた男性は

「な!・・・・・・・・・・・・・・・なんだ手前は!お前は関係ないだろ!」

 すぐさま顔を真っ赤にして、怒りに震える男性。

「何だチミわってか?そうですわたすが」

 注意を琴音に逸らさせるために反射的に琴音はボケてしまう。

「薔薇姫には言ってない!ふざけるな!」

 いままで楽しそうに喋っていた男性の欠片さえもそこになかった。

 私の目の前で「薔薇姫」って言ってるし。・・・・・・・・・はぁ。

 今度はこれ以上男性を怒らせないように、内心でため息をつく。琴音は自分のことを薔薇姫と呼ばれることを嫌う。

 こいつは駄目だ。私に理想ばかり求めているタイプだ。ボケにも突っ込めん。余裕がないな。

 目の前にいる男の顔がよく見えなかった。琴音が泣いているわけではない。琴音はこの人の顔のパーツパーツを認識して、この人を個人として認識してしまうのが億劫だった。知人でもなんでもない。顔がよくても他人は他人。認識しなければ、そこに生えている草と変わらない。

 いや、そんなこと言ったら精一杯生きている草に悪いな。んならなんだ?原子か?原子に悪い。原子が無けりゃ存在していないしな。そもそもこの世に卑下にするものなんて無いのだからそもそも例えるのがいけない。そうだな。どうしよう。当てはまる言葉がない。

 琴音はまた男性を無視し始めた。

 男性はそれに気づいていないのか、琴音に怒り混じりに話しかけている。

 曰く俺とデートすれば全てが分かるだの隣の女の言っていることは勘違いもはなはだしいだの。少し時間がたって現実に戻った琴音には耳障り以外のなんでもなかった。

 チャイムが鳴る。

 そして寸分違わずに初老教授が入ってきた。琴音が軽く手を振る。教授もそれに返す。運がいいのか悪いのか、琴音のゼミの担任であった。

 しかし男性はヒートアップしてるのか、教授に気づかない。

 教室中が静まりかえる中、男性は恥の上塗りを重ねていく。

 止まることがない。教授がそう思ったのか、教壇から琴音に話しかけた。

「外でやってくれんかね?」

 大きな声に男性が気づく。

「え、あ、はい。すいません」

 そう言うと男性は自分の鞄が置いてあった席に座る。

「いや、そうじゃなくてね。私はこういった。外でやってくれんかね。確かにたしなめるような言葉だったが、事実こういいたかったわけだ。出て行け」

 男性は最後の一言で固まる。

 教授はそれを確認した後、琴音の方を見る。

「あー・・・・・・・・・・・・そうですよね」

 琴音は腕を組みながら手のひらを前に突き出した。

「だがこ」

「ハイハイ。岸辺露伴はいいから。断らないで。一応これ私の仕事なのよね。授業の妨げにならないようにって。見えないものを見よって言うけどこの空気見える?」

 そういうと教授は前の列にプリントを配り始めた。

 いいなあ。今のもなかなか間の良い突っ込みだったな。

 琴音は少し幸せになりながら、席を立った。

 友もそれについていく。

 男性はその場に取り残された。事態についていけてないみたいだ。

「あ、後で講義の内容聞きに行きますから」

「あー、はいはい」

 教授は面倒くさそうに手を上げた。

 いいなあ。あの余裕。貫禄。あの教授のままで後五十歳若かったらなあ。

 琴音は少しトキメキを感じながら教室を出た。


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