車の中で。
「飛沫さんはすごいですね」
梓は唐突に琴音に話しかけた。ハンドルを握り、真正面を向きながら琴音は答える。
「どういう風に?」
まるで自分の事を褒められたかのような表情で、ニコニコしながら答えた。
後部座席では飛沫、悟の二人が互いに寄りかかりながら寝ている。
「下心を感じません。恩着せがましいこともせず、人間を偏見で見ることもありません。このような男性を初めて見ました」
「まあ、彼の魅力の一つなのだが。そのおかげで私は少し困っているのだがね」
そういうと表情は苦笑いに変わった。
車中には少し沈黙が流れる。
ラジオの音だけが二人には聞こえていた。
「私は飛沫さんに初めから興味がありました」
琴音は少し目を見開き、驚いた顔をする。
「言葉通りに捕らえてもいいものかい?」
「そういう感情は少ししかありません」
「少しで十分なのだよ。そういうものは。多ければいいって物じゃない。段階を経て大きくなるものだからね。まあ小さくなる場合もあるけど」
カーブに差し掛かり、琴音はスピードを落とす。
「一目ぼれってやつ?」
「そういう意味じゃありません。私の兄から聞いていた話です」
そういうと梓は後ろ座席で寝ている悟を少し見る。愚兄とは言わなかった。
「私の兄は男性の友人が極端に少ないのですよ。私の知っている限りでは三人しかいません」
「自己紹介の時に梓ちゃんが言っていたね」
「何故だと思います?」
琴音は少し考える。
「女の子の方が好きだから?」
「傍目から見ていればそうなのですが、実は違います」
梓は悟から目を切り、前の方に目線を向きなおす。
「兄は他人の感情に非常に敏感なんです。これは兄だけではなく、私もなのですが、兄は更に他人の感情を見てしまいます」
「意識的に?」
「私は少し意識している部分があるのですが、兄は無意識です。その分感度が高いのでしょう」
梓は少し悲しそうな表情になる。琴音はそれを見て少し驚いた。
「それも関係あるの?」
「せっかちですね」
「よく言われる」
琴音は笑う。車の外を流れる風景は木々が多く目立ち始めた。
海は既に見えない。
「兄は正直、かなり造形のいい顔をしています。そして女性の方々によくもてます」
「まあだろうね。あれだけの美人は自分以外でなかなかお目にかかれないよ」
琴音が少しおどけると、梓は少し笑った。
「その光景を見て、ほとんどの男性が嫉妬を抱くわけです。それは大きなものから小さなものまであるのですが、意識しているにせよしていないにせよ、他の男性の感情にはそれが芽生えます」
「それでさっきの話か」
「はい」
ラジオの音が途切れ始め、車の外は木々ばかりになる。対向車はほとんどいない。
琴音はバックミラーを確認するが後ろについている車もいない。
梓は更に口を開き始める。
「女性は兄の顔を見て、最初から拒否反応を起こす人はほとんどいません。ほとんどが好感を抱きます。そのような女性の兄へのかかわり方を普通の男性が見るわけです。兄は先ほどのそれを感じ取って男性とは距離を置きます。兄が男性と話をしている姿を見たときに『何でか気持ち悪い』と言って離れていくのを何度も見たことがあります。次からはそのような男性と進んで話をしようとはしません。そういう感情を自分に向けられるのが嫌いなようです。無意識に避けているようですが」
「梓ちゃんは大丈夫なのかい?」
「私は意識的に感じ取ってますから。心構えがあれば結構耐えられるものなんです」
「そんなものなんだね」
梓は言葉を返さずに小さく頷いた。
完全に雑音のみになったラジオが耳につく。
琴音は左手を伸ばし、ラジオの電源を切る。
少し道が悪くなったのか、たまに車は軽く揺れる。
「その兄が私との会話の中でボソリと呟いたことがあるんですよ」
そういうと梓は飛沫と悟の方を見る。
琴音も少しつられて飛沫の方を見るが、すぐに目線を前へと移した。
飛沫と悟は見られていることも知らず、気持ちよさそうに寝ている。
「『男友達ってこんなにいいものだったんだな』って。大学生になって初めてそのようなことを言いました」
「その前後の会話もきになるものだがね」
「まあそこはプライベートということでお話は出来ませんが」
ハハハと琴音は笑う。
梓は構わずに続ける。
「その時は兄の言っていた友達が誰かは分からなかったのですが、兄と話をしているうちにそれが飛沫さんだということが分かりました。よく言っていたのですよ。『何故イブキに彼女が出来ないかがわからない』と」
「それで前々から興味があると」
「はい」
車は森の中を走る。窓の外を見るとがけになっていて、ここが高い場所だと分かる。車は下っており、琴音は軽くブレーキを踏む。
そこからは町の灯りが光っていた。
「それで実際に会ってみてどう思った?」
「それが最初の感想です」
「すごいですね、ってやつかい?」
「はい」
梓は頷いた。
車は山を下り、麓まで来ていた。車に角度はなくなり、平坦な道になる。
梓は琴音に自分の家の順路を教える。琴音はそれを承諾した。
車は少しずつ町の灯りに近づいていく。
「琴音さんもすごいですね」
「は?」
琴音は素っ頓狂な声を出す。
「琴音さんは飛沫さんの事好きですよね?」
「げ」
琴音は頭をボリボリと掻く。
「あー、・・・・・・・・・・隠してたつもりだったのだけどね」
「普段からあのようにふざけて隠してるんでしょうけど意識すれば分かりますから」
「君と同じクラスの人々が可哀そうに思えてきたよ。君のそれは超能力の類じゃないのかね?」
「かも知れませんね。どうでもいいことですけど」
少し顔を赤くした琴音は冷えた手で顔を冷ました。
「それで何がすごいのかね?」
「私が興味があると言った時に嫉妬などの感情が一切ありませんでした」
んー、と琴音は少し考え込む。
「まあ、不思議と沸かなかったな」
「自然な形でそうなっているのはすごいことなんですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・それ以前の問題なんだよなぁ」
琴音はため息をつく。
車は光に照らされる。
道は舗装されていて車が揺れることはほとんどない。
「まあ互いに頑張ろうってところだね」
「そうですか」
ラジオは最後までつくことはなかった。